【25日】酒井さん: 君に友だちはいらない ~ディベートアドベントカレンダー企画の舞台裏~

皆さんこんにちは。ディベートアドベントカレンダー2021の企画・運営をお手伝いしていた酒井崇匡です。と言っても、この5~6年間、競技ディベートから離れていたので知らない人の方が多いはず。私は今から20年ほど前、大学生の時に競技ディベートを始めました。選手として活動したのは大学生~若手社会人だった6年間で、最後に出た試合は2007年春の第13回JDA春期ディベート大会決勝戦です。以降はジャッジとして活動していました。

この記事の目的は、大変多くの方にご寄稿頂いたディベートアドベントカレンダー2021がどのように生まれたのか、その舞台裏を記録しておくことです。今後、同様の企画を検討する方の思考の補助線になれば幸いです。

25日ということでアドベントカレンダー的には一旦の締めになりますが、ありがたいことにまだご寄稿いただける方が数名いらっしゃいます。明日以降、順次公開されていきますのでそちらもご期待ください。

 

企画の発端は「オープンな議論の空間が作りたい」

今回のアドベントカレンダー企画の発端となったのは、すずまささんこと鈴木雅子さんの一言です。「SNSだと個人のネットワークに縛られるところがあるので、よりオープンにディベートに関する議論ができるプラットフォームは作れないものだろうか、どう思う?」そんな相談をメッセンジャーで頂きました。そのチャットに参加していた奥村雅史さん、佐藤可奈留さんがそのまま企画の運営メンバーとなっていきました。

 

人のやる気はもって1ヶ月だから、短期集中の企画

4人の検討の中で、企画を詰めていきました。その中でも重視したのは、

「1ヶ月くらいの短期集中で完結する企画」

ということです。参加者、運営者双方のやる気的に、企画の活性を維持できるのはだいたい1ヶ月くらい、という読みがあったためです。

企画をずっと続けようとしてもだんだん尻すぼみになっていったり、活性を維持するために新メンバーを投入し続けるのはボランタリーな運営としては負担が大きすぎるので、大会と同じように短期集中で行こうと。結果としてこれは奏功したと思っています。

 

各人の辿った思考を可視化したいから、ディベート感想戦

また、「ディベートに関するナレッジが個人やチーム、スクアッドの中に留まりがちだ」という問題意識も重要でした。どうしても論題のシーズン途中は自分たちで苦労して考えた議論をオープンにするのは気が引けるものですが、シーズンが終了するくらいのタイミングであればそれが可能なんじゃないかと。

それぞれのチームが作り上げた議論が背景にある意図や実際の試合での効果、反省点などを含めて可視化されることで、今後また同じ論題が採用された時に有効活用されるアーカイブになるだけでなく、他の論題で活用できる要素も多そうです。

そのような意図から、「一院制論題に関する一押しの立論や反駁カードをディベーターがお互いにシェアするディベート版の感想戦」というコンテンツ面の骨子が決まりました。

結果的には選手だけでなく、ジャッジや大会運営者、観戦者など様々な視点での寄稿を頂くことができました。

またやってみての感覚としては、JDA春季大会のようにシーズン最初の方の大会でもその大会にしか出ない、という方はそれなりにいそうです。そういう段階で今回同様の感想戦があるのもいいかもしれません。シーズン途中なだけにむしろ議論へのニーズは高いかも。

 

締切は大事だから、アドベントカレンダー形式

多くの人が参加する短期集中企画なので、回していくためには締切が超大事です。ちょうど年末の時期だったので、日毎に寄稿者を決めて毎日一人ずつ記事をアップしていくアドベントカレンダー形式としました。これは寄稿者全員が同じ締切である場合に比べて、運営側の記事回収や確認、アップロードなどの負担が分散されるという効果がありました。また、順次寄稿者を追加していくことができるのもメリットでした。

 

寄稿者へのお声掛け・記事確認などは、すずまささんとカナルさんの尽力

企画の概要が決まったところで、寄稿者の方々への声かけです。大会に参加された選手、ジャッジの皆さんを中心にすずまささんとカナルさんが担当して頂けました。企画が練られていても寄稿者が集まらなければ元も子もないのですが、結果として非常にたくさんの寄稿者の方に手を上げて頂けたのは、お二人の幅広いネットワークと信頼度による部分も多かったはずです。また、既に作った議論をシェアするという形式は、選手の皆さんにとっては一から記事を執筆するよりも多少ハードルを低くする効果はあったんじゃないかなと思います。

 

告知ルートは事前の仕込みが作れるとより広がりそう

公開された記事はTwitterの専用アカウント(@unicameral_deb8)からも毎日配信をしていました。これはカナルさんのご尽力です。その結果、毎回一定のアクセスを頂くことができました。一方で予め大会参加者の方々への告知ルートを確保しておくなどの仕込みがあるとより円滑に読者を拡げることもできたはずです。

これは今回は大会後に企画がスタートしたので難しかったのですが、次回があるとすればぜひ検討しておきたいポイントです。

 

同じコミュニティの仲間として

ここからは私個人の感想です。記事タイトルの『君に友だちはいらない』。これは瀧本哲史さんの著書タイトルをお借りしています。瀧本さんがこの本の中で提言されていたのは、目的を同じくする“仲間”と手を組み、プロジェクトを推進することの重要さです。今回のアドベントカレンダー企画は、まさにディベートコミュニティの中で、“論題に関する思考の可視化・ストック化”という目的に賛同した多くの仲間によるプロジェクトでした。そこには多少の意見や見解の違いを越える連帯がありました。

プロジェクトが生まれるためには高い熱量を持って声を上げ、最初の仲間を集めるファーストペンギンの存在が重要です。この企画で勇気を持ってその役割を担った鈴木雅子さんに最大の敬意を表します。一方で、実際にペンギンが海に飛び込む映像を見ていただけるとわかるのですが、ファーストペンギンは自ら飛び込むのではなく、周りのペンギンから押し出されているのです。むしろ最後の方とか押すな押すな状態です。上島竜兵です。その点では大会後にSNSで行われた活発なやり取りこそ、この企画の苗床だったと言えましょう。

 

14年前のJDA決勝で

最後に個人的な思い出を。冒頭で紹介した通り、私の選手としての最終試合は07年の秋期JDA大会でした。当時、安藤温敏さん(この方ほどディベートという競技に選手・運営両面で継続的かつ常にハイレベルに取り組まれている方はいません。いわばディベート界のイチロー。尊敬しかありません。)が残して頂いたトランスクリプトの中から、肯定側立論冒頭の私のサンクススピーチを引用します。

それでは最初にサンクススピーチから。私 、CanD という団体の顧問をしているんですけれども、社会人二年目です。私の会社の人事をされていた方が、「話せぬ若手と聞けない上司」という本を書かれていまして、要するに、今の若手というのはなかなか自分の言葉で話せないし、上司は聞けない、みたいな本です。自分も会社に入ってみて、ディベートをやっていたから、多少は話す能力というのは自信を持っていたんですけれども意外と話せぬ若手だったんだな、と気づいてですね、ディベートというのは、一部のトップディベーターの方は別として、本当に話す能力やスピーチ能力の向上に役に立っていたのかというふうに疑問を持ちまして、今回ちょっとわかりやすいディベートをしてみよう、ということで、出させていただきました。

そのため、今回立論で読む資料というのは、直接引用ではありません。わかりやすくなるように、多少こちらで手を加えて、意訳したような構成になっています。ディストーションの恐れがあるので、ケースに原典を参照できるようにしています。否定側さんはディストーションがないかどうか、シートの方で確認していただければと思います。

それでは始めたいと思います。

ディストーションというのは原典の意図を歪めることです。

 

当時、社会人2年目でなかなかうまく仕事でコミュニケーションの取れない自分に悩み、悪戦苦闘していました。そこでたまった鬱憤、よく言えば問題意識をJDAにぶつけてみたわけです。この大会で僕たちが行った小さな挑戦は、「わかりやすさ」を重視して証拠資料もそのままの引用ではなく、立論の文章に馴染むよう調整、意訳したり、ラベル付けもキャッチーにするといったことでした。

(我儘を聞いてくれた当時のチームメンバーに感謝です。やはりCanDって団体名のネーミングセンスどうなんだという感じは今でもするけど。)

順調に決勝まで勝ち上がったわけですが、このトランスクリプトには安藤さんの以下のような注釈があります。 

なお、本試合においては、特に肯定側第一立論において、ほとんどの証拠資料の原文を一部

改変して(スピーチ中では「参照」と称している)使用している。さらにこのことが勝敗にも大きく影響しているため、改変のある証拠資料に関しては、原文も添付した。

ジャッジ陣の判定競技の中で、「肯定側は試合には勝っているけど、改変を加えた資料の一部(しかも超重要なやつ)、孫引きであることは断わんないと駄目でしょう。なのでこの資料はなかったものとして判定します。」という判断になり、結果1対4で負けちゃいました。

そんな訳で私のディベーターとしての最終試合は少しほろ苦いものになったのですが、今回の第24回JDA秋季大会でも様々な実験的な議論があったようですね。寄稿いただいた記事、当時を思い返しながら拝見していました。

実験をすること、挑戦をすることは例えそれが受け入れられず、失敗したとしても、それ自体が宝物です。結局受け入れられないことだったとしても、ずっと後に思わぬ場所でその経験が活きることもある。

挑戦するディベーターに幸多かれ。ご覧頂きありがとうございました!

本企画では建設的なコメント、応援コメントのみ掲載させて頂きます。執筆してくださっている方へ温かいコメントを是非お願い致します!