【21日】 運営事務局 奥村: 制度を語るのは難しい ディベートは楽しい

こんにちは。

Debate Advent Calendar 2021運営事務局の奥村です。

 

まずは告知から。

この企画、25日までの予定だったのですが、思いのほかたくさんの記事をいただいたため年末まで突っ走ることとなりました!!

カレンダーの仕様上、26日以降の方は12月2日から6日の欄に載せる形となります。まだまだ面白い議論が登場するのでどうぞお楽しみに!

 

さて。

今年も残すところあと10日ほどになってきましたね。今回のアドベントカレンダーという企画、様々な方から惜しみなく議論をいただいて嬉しい限りです。私自身はJDA秋期大会を見ていませんしリサーチもしていないのでとっても恐縮なのですが、いただいた議論やJDA九州大会でジャッジとして拝見した議論を元に、「一院制論題」に対する戦略的な取り組み方を書いてみます。証拠資料などはありませんので悪しからず。

なお、「クリティーク」に関しては論題と必ずしも関係があるとも限らないのでここでは書きません。自身が出しても良いし出されたときにきちんと対抗する必要はあると思います。

 

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参議院は「必要ない」?

それとも「邪魔」??

 

「日本は国会を一院制にすべきである」という論題からは通常、参議院の廃止が考えられます。(逆に参議院だけを残し議院内閣制からの離脱を議論することもできますが、おそらく首相公選制となり論題に充当しない可能性が高い)

 

では参議院の存在をディベートの議論上どう扱うべきか?

 

1、「必要ない」場合

参議院は「良識の府」などと言って衆議院のストッパーとしての役割を語られやすい。であれば、ストッパーとしての価値がゼロないし限りなく低いということを証明できれば存在意義がそもそもないので、「審議の迅速化」「コスト削減」などの議論が行いやすくなります。

 

この場合のやり方としては、参議院衆議院とほぼ変わらない構成で政党の指示に忠実な存在であり実質的に衆議院と変わらないという描き方となります。

 

ただし、衆議院と変わらないならば廃止して得られるメリットもまた小さい。だから肯定側としては、1日2日でも審議を早める重要性を述べる必要があるでしょう。コロナなど、災害対策の話がありそうかな。

そして否定側としては、衆議院参議院に占める多数派が異なる「ねじれ国会」の価値が肯定側プラン導入のデメリットとして機能させられる。また、衆議院参議院が同じような役割を果たしてしまう理由が現状の選挙制度に起因するものであれば、カウンタープランで解決可能と言ってしまえるかもしれません。

 

逆に、このスタンスを肯定側が取る良さとしては、議論展開の見えやすさかなと思います。現体制においてねじれ国会など数えるほどしかありませんし、「あまり大きく変わらないけど無駄はなくなる」という意味での共感は作りやすい気がします。

 

 

2、「邪魔」な場合

ねじれ国会などはわかりやすく与党(=政府)の政策を邪魔する状態ですね。これについて述べている学者さんや記事も多いので論じやすい一方で、肯定側否定側ともに政策評価が難しいというリスクがあります。つまり、「正しい政策が実行できなかった」「誤った政策を防ぐことができた」というのは結果論、しかもそれぞれの人の感じ方によるところが大きいのでどちらが良いのかの比較が難しくなってきます。

 

ただ本来、「二院制」は両院の対話と対立を予定している制度なので、きちんと議論できれば面白いですよね。肯定側としては、構造的に参議院が政策の内容そのものよりも政局に影響されやすいという主張をすべきでしょうし、「ねじれ」でなくとも衆参の間で政治的な対立が起こりやすいと言えればより良いかなと思います。

昨日の安藤さんが書いてくださった「政権交代」はこの分類になりますね。


 

否定側としては、ねじれ含め衆参の対立を全面肯定していくのが王道。対立構造を明確にするためにカウンタープランで選挙制度をいじるのもありかもしれません。(衆議院小選挙区比例代表並立制も、参議院都道府県ごとの選挙区+比例代表も、二院制固有のものではありません。その制度設計によっては他国の例が使えるかも)

あるいは、肯定側が挙げた参議院の問題が二院制そのものに起因していない可能性が高い場合は、カウンタープランで解決可能と主張するのも良いと思います。(証拠資料で、現行の選挙制度を理由に参議院の問題を指摘している場合など)

いずれにせよ問題解決型のカウンタープランを使うなら、肯定側の現状分析を確認し、質疑を通じてその問題の所在が実は二院制に依らないことをジャッジに印象付けることが大切です。

 

逆に肯定側としては、自分達が指摘している問題が二院制特有のものなのか選挙制度の問題なのか、仮に選挙制度の問題だとするならばなぜその制度になったのか(変えられない理由)、を把握しておくことが不可欠でしょう。

 

 

民主主義は多数決なのか?

 

この一院制論題については様々なカウンタープランが生まれているようです。そもそも議会を廃止してしまう「零院制」カウンタープランに関する議論はアドベントカレンダーでもいくつかご紹介いただいているところ。ではなぜこの議論が成立するのか、そして本当にこの議論が説得力を持つものなのか?

なお、零院制に反論する意図ではありません。多分、具体的な反論を作るのは実際にこの議論を使って優勝された佐久間さんの記事を読んだ方が早いです。

 

二院制には様々な迂遠さがある。制度の根本思想からして当然なのですが、それに対する批判も当然生じる。「国民にとって必要な政策を早く実現しよう!」という価値観から肯定側が議論を立てた場合、より早くするという価値観のもと否定側として議会を廃止するのは一定の理があります。行政への監視機能、立法のやり方など詳細に考えておく必要はありますが。

 

そもそも、議会制民主主義は民主主義の本質ではありません。と同時に、多数決原理も民主主義の本質とは言い難い。この辺りは小室直樹氏の「憲法原論」などとても読みやすく面白いです。証拠資料として使いやすいかは不明。

 

三権分立などごちゃごちゃした制度の大元は、国家権力の存在を前提とした上でのそのコントロールの仕方になるわけですが、この辺りの思想的背景を入れられると議論に深みが出る気がします。「保守」「リベラル」ってなんなのとか、「小さな政府」「大きな政府」とは?とかも一つ考えるきっかけになりそうですね。

 

なかなか難しいところですが、否定側として二院制を主張するなら「国家権力のコントロールの必要性」を説く、零院制を主張するなら行政主体の「スピードこそ正義(間違っていれば即修正という佐久間さんのやり方)」や国民投票をバンバンやるような一つ一つの政策に国民を関わらせる「国民の納得が全て」という価値観、肯定側の一院制ならその中間として「議会としての立法プロセスの意義」みたいな感じになるのでしょうか。

 

テクニカルで言えば、《立論段階から価値観を述べておく・質疑で相手の議論を確認しつつこちらの価値観との擦り合わせをしておく・第二反駁で擦り合わせに成功した価値観に基づいて比較を行う》ができれば快感だと思います。逆にこれができなければジャッジの余計な介入を招く恐れがある。(擦り合わせまでできて介入されたなら運が悪かったと諦める・・・)

 

なお、政治に関する価値観の話をするなら、数年前流行した「これからの『正義』の話をしよう(マイケル・サンデル教授)」の議論を踏まえると良いかも知れません。エビデンスとしてというより、多分言葉の説得力が変わります。

 

 

余談 競技ディベートの面白さ

 

大学生だった20年ほど前、うつくしま未来博(福島県主催)の一環で「首都機能移転ディベート大会」に出場しました。決勝の舞台で否定側に立った私達は、原発のリスクを語りました。「福島県沖でも大型地震は起こりうるし、津波が来れば老朽化した福島第一第二原発は核暴走ないし炉心溶融を起こす可能性が高い。」

副県知事さんはじめ一千人を超える聴衆の前であえてこのような議論を展開したのは、若いディベーターとしてのある種の悪ノリのつもりでした。その議論が、紛れもない現実となったのはそれから10年後のことです。

国内ほとんど全ての研究者が原発の安全性を主張する中で唯一、その危険性を訴えたわずか数人の京大系研究者の著書が私達の議論の根拠でした。

 

ディベートの論題として私が議論したものの中で、裁判員制度は実際に導入されました。

憲法9条の論題などは、今回のJDA秋季大会にジャッジとして参加された鈴木雅子さんとJDA決勝で対戦した記憶が鮮烈です。試合には勝ちましたが、日本を取り巻く国際情勢はこの20年でほぼ彼女が主張した通りとなりました。

 

わずか20分間の立論反駁に込めた論理が、実際に大きく社会の中で動いている。このようなダイナミズムを感じるにつけ、面白い活動に出会えたのだなと感慨深いです。

 

せっかくクリスマスの前なので、ディベーターの皆様に議論を通じた幸が多いことをお祈りして記事の締めくくりとさせていただきます。

 

 

質問批判その他

奥村雅史

cdlr@msn.com

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