【26日】尾関さん: お友達キャンペーンについて

0.はじめに

アドベントカレンダーをお楽しみのみなさん、こんにちは!尾関と申します。

この企画のお話しを頂いた際、ちょっと私場違いなのではと不安になったのですが、なんだかんだ4年間スタッフを楽しんだのでその中で見つけられたものを残そうかなと思いました。

私のテーマは「スタッフルームの楽しみ方」です。この部屋、実はとっても楽しいです(笑)。私の楽しみ方はあくまで一例であって、いろんな楽しみ方があります。それに、私は運営委員やスタッフの経験しかありませんので、ジャッジルームのことはわかりません。これが絶対ではないのでこんな人もいるんだなと気軽に読んでいただけたら嬉しいです。

1.おすすめの過ごし方

中高生の大会ではタイムキーパーをすることが大半ですが、大学生・社会人向けの大会はあまりタイムキーパーをしません。ですので多くはジャッジさんの出した判定結果やコミュニケーション点の書かれた紙を集計室に運んだりが主な仕事となります。しかしTK以外のタスクはオンラインの大会になってからなくなってしまいました。オンラインのでもオフラインでもスタッフは試合以外の時間がとても長いです。休憩が入った際には試合中一時間なにもやることがないこともとなると意外と自由時間が多いんです。この時間、ここでしかできない体験でぜひ有効活用していただきたいです!

私は「お友達キャンペーン」と名前を付けてこの自由な時間を過ごしていました。

具体的な内容は、3点。

  1. はじめましての人には必ず一度話しかけること
  2. 3人は印象に残るような会話をすること
  3. 1人とは打ち解けられたなと思えるくらい仲良くなること

大会がオフラインだった大学1,2年の2年間、以上の点に気を付けてお友達キャンペーンを続けました。結果、知り合いが1人しかいなかった関東地区で、学生6人、若手社会人5人、ちょい年上な大人4人と、大会以外の場所で集まったり、2人で食事に行くくらい仲良くなれました。これだけでも15人ですが、大会会場だけでしか会わないけど仲がいい人はもっといます。年に数回しかない大会、しかもたった二年間で濃い関係を15人以上も築くことができました。数字としては多くなくても大学生・社会人以降、人脈に広がりを持たせる難易度が上がる中でこの結果は決して少ない方ではないかと思います。

2.お友達キャンペーンで意識したこと

次になぜ、上記の3点を意識したことについてです。①初対面の人がいたら話しかけることにはメリットが2点あります。その空間にどんな人がいるのか把握できること。スタッフをしに来ている、つまり仕事があるのですから一人でできることはまずありません。客観的にどんな人がコミュニティにいるのか把握することはディベートコミュニティに限らず大事なことではないかなと思います。もう一点は、その人が話しかけやすい人なのかそうではないのかの入り口が見えること。見た目という第一印象をもう一歩踏み込んで②につながります。

3人という数字にこだわりはないのですが(笑)、何となく会話をするときに2人で話すよりも間に誰かいる3~4人くらいが一番話しやすい空間な気がするので、これくらいの規模で一試合分の待ち時間楽しく会話できたらいいかなというイメージです。

③これはかなり高難度ですが、気持ちはこれくらいの方が勢いが出るのでお勧めです。イメージはオフラインだと、大会が終わった後の打ち上げで2人で話していても会話が盛り上がるくらい、オンラインならTwitterFacebookでメッセージ送るくらいです。そうなるとたった一日でもその人を少し良く知れたような親近感がわきます。本当に仲良くなった人はそのタイミングで連絡先を交換したりしました。

以上、私が意識して行っていたことの全貌です。次になぜこんなにも意識してお友達キャンペーンをやっていたかについてお話しします。

3.なぜお友達キャンペーンをしていたのか

理由は大きく2点。一つ目は単純に孤独で寂しかったから(笑)。私は大学進学で関東に来たので知り合いは全くと言っていいほどいませんでした。ディベートコミュニティに限らず大学にもサークルも慣れる前でしたので本当に孤独感がすごかったので何とかしていざというときに助けを求められる人を作らねばという思いでした(笑)。ディベートでも、誰か親しい人を作らなければ大会に行っても寂しいですし、友だちがいたほうが楽しいだろうなと思っていました。好きなディベートには携わっていたいし、なにか自分にないものを持っているいろんな環境で生活している人と関わってみたいという好奇心もありました。

もう一つは、社会訓練です。これは自分に限っているのかもしれませんが、私は中高そして大学までも女子学校に通っていますのでほぼ異性と話したことがなくここまで来てしまいました。このまま社会人になったらどうなってしまうのだろう、きっとまともにコミュニケーションすら取れないかもしれないという焦りがありました。幸いにもディベートコミュニティにいる方は温かく見守ってくださる方が多いので、もし怖くなってもまた頑張ればいいやと思って慣れない男性との会話の克服に挑みました。

4.休憩

真面目に話過ぎたのでここらで少しティーブレイク!

コロナも落ちついてまたオフラインに戻ったとき、スタッフルームで会話を広げるために持っておくといいものをご紹介します。

それはお菓子です!(チョコとグミなど2種類くらい)

1人でいる人は大体疲れてぐったりしていますので、そんなときに「これ、いります?」と話しかけると①~②は大体突破できます。私はお菓子を巾着に入れてスタッフルームにいる時は常に持ち歩いてました(笑)。スタッフはお菓子の周りに群がる習性がありますのでこれは結構な効果ありますよ(コロナ対策として一つずつ小分けになっているお菓子を選ぶとよいでしょう!)

5.話しやすい環境なのか

あと、ディベートから離れてしまう人の心の内としてありそうなのが「ディベートの話ができないと会話に入れないのではないか」という意見です。思いますよね、私も思いました。だからディベートと関係のない話をがんがん話しかけました(笑)。話が小難しくなりがちなコミュニティですよね。でも実際話しているとディベートと関係のないことで盛り上がっている人たちもいますよ。就活の相談したり、大学の違いとか話したり、もっとプライベートなことに突っ込んだりとか。少なくとも私はそうですので、大会でもっと気軽に話したいなと思ったらぜひお声がけください(その前に私が話しかけている可能性もありますが)

もっと気軽で大丈夫です。むしろディベートではない話をすることで、ディベートをしている影響がどんなところでその人の中に反映されているのかなど、より人が知れて面白いです。

6.さいごに

本を読んだり、課題をしたり、仕事をしたりとおひとり様空間として楽しむのもいいと思います。しかし!私がおすすめするのはいろんな人と話しまくるおしゃべりタイムに充てることです。1人でできることは一人の時間でやればいいですし、せっかく誰かがいるのならその人がいないとできないことがしたいと素朴に思うからです。ディベートコミュニティには、いろんな大学、様々な職種、幅広い年齢層と縦も横も広がり放題です。知り合いは多ければいいわけではありませんが、自ら作ろうと思わなければ密な関係の人はできるものでもありません。こんなにも広がりがあっておもしろい空間はそうそう身近にはないと思います。

一見、小学生みたいな過ごし方ですが、私は大学人生の中で、最も奪われたくないくらい充実した時間だと思っています。

ディベートコミュニティは楽しめるだけでなく、人とコミュニケーションをとる練習にもなるので、ここでしかできないチャレンジをぜひ楽しんでいただけたら嬉しいです。

【25日】酒井さん: 君に友だちはいらない ~ディベートアドベントカレンダー企画の舞台裏~

皆さんこんにちは。ディベートアドベントカレンダー2021の企画・運営をお手伝いしていた酒井崇匡です。と言っても、この5~6年間、競技ディベートから離れていたので知らない人の方が多いはず。私は今から20年ほど前、大学生の時に競技ディベートを始めました。選手として活動したのは大学生~若手社会人だった6年間で、最後に出た試合は2007年春の第13回JDA春期ディベート大会決勝戦です。以降はジャッジとして活動していました。

この記事の目的は、大変多くの方にご寄稿頂いたディベートアドベントカレンダー2021がどのように生まれたのか、その舞台裏を記録しておくことです。今後、同様の企画を検討する方の思考の補助線になれば幸いです。

25日ということでアドベントカレンダー的には一旦の締めになりますが、ありがたいことにまだご寄稿いただける方が数名いらっしゃいます。明日以降、順次公開されていきますのでそちらもご期待ください。

 

企画の発端は「オープンな議論の空間が作りたい」

今回のアドベントカレンダー企画の発端となったのは、すずまささんこと鈴木雅子さんの一言です。「SNSだと個人のネットワークに縛られるところがあるので、よりオープンにディベートに関する議論ができるプラットフォームは作れないものだろうか、どう思う?」そんな相談をメッセンジャーで頂きました。そのチャットに参加していた奥村雅史さん、佐藤可奈留さんがそのまま企画の運営メンバーとなっていきました。

 

人のやる気はもって1ヶ月だから、短期集中の企画

4人の検討の中で、企画を詰めていきました。その中でも重視したのは、

「1ヶ月くらいの短期集中で完結する企画」

ということです。参加者、運営者双方のやる気的に、企画の活性を維持できるのはだいたい1ヶ月くらい、という読みがあったためです。

企画をずっと続けようとしてもだんだん尻すぼみになっていったり、活性を維持するために新メンバーを投入し続けるのはボランタリーな運営としては負担が大きすぎるので、大会と同じように短期集中で行こうと。結果としてこれは奏功したと思っています。

 

各人の辿った思考を可視化したいから、ディベート感想戦

また、「ディベートに関するナレッジが個人やチーム、スクアッドの中に留まりがちだ」という問題意識も重要でした。どうしても論題のシーズン途中は自分たちで苦労して考えた議論をオープンにするのは気が引けるものですが、シーズンが終了するくらいのタイミングであればそれが可能なんじゃないかと。

それぞれのチームが作り上げた議論が背景にある意図や実際の試合での効果、反省点などを含めて可視化されることで、今後また同じ論題が採用された時に有効活用されるアーカイブになるだけでなく、他の論題で活用できる要素も多そうです。

そのような意図から、「一院制論題に関する一押しの立論や反駁カードをディベーターがお互いにシェアするディベート版の感想戦」というコンテンツ面の骨子が決まりました。

結果的には選手だけでなく、ジャッジや大会運営者、観戦者など様々な視点での寄稿を頂くことができました。

またやってみての感覚としては、JDA春季大会のようにシーズン最初の方の大会でもその大会にしか出ない、という方はそれなりにいそうです。そういう段階で今回同様の感想戦があるのもいいかもしれません。シーズン途中なだけにむしろ議論へのニーズは高いかも。

 

締切は大事だから、アドベントカレンダー形式

多くの人が参加する短期集中企画なので、回していくためには締切が超大事です。ちょうど年末の時期だったので、日毎に寄稿者を決めて毎日一人ずつ記事をアップしていくアドベントカレンダー形式としました。これは寄稿者全員が同じ締切である場合に比べて、運営側の記事回収や確認、アップロードなどの負担が分散されるという効果がありました。また、順次寄稿者を追加していくことができるのもメリットでした。

 

寄稿者へのお声掛け・記事確認などは、すずまささんとカナルさんの尽力

企画の概要が決まったところで、寄稿者の方々への声かけです。大会に参加された選手、ジャッジの皆さんを中心にすずまささんとカナルさんが担当して頂けました。企画が練られていても寄稿者が集まらなければ元も子もないのですが、結果として非常にたくさんの寄稿者の方に手を上げて頂けたのは、お二人の幅広いネットワークと信頼度による部分も多かったはずです。また、既に作った議論をシェアするという形式は、選手の皆さんにとっては一から記事を執筆するよりも多少ハードルを低くする効果はあったんじゃないかなと思います。

 

告知ルートは事前の仕込みが作れるとより広がりそう

公開された記事はTwitterの専用アカウント(@unicameral_deb8)からも毎日配信をしていました。これはカナルさんのご尽力です。その結果、毎回一定のアクセスを頂くことができました。一方で予め大会参加者の方々への告知ルートを確保しておくなどの仕込みがあるとより円滑に読者を拡げることもできたはずです。

これは今回は大会後に企画がスタートしたので難しかったのですが、次回があるとすればぜひ検討しておきたいポイントです。

 

同じコミュニティの仲間として

ここからは私個人の感想です。記事タイトルの『君に友だちはいらない』。これは瀧本哲史さんの著書タイトルをお借りしています。瀧本さんがこの本の中で提言されていたのは、目的を同じくする“仲間”と手を組み、プロジェクトを推進することの重要さです。今回のアドベントカレンダー企画は、まさにディベートコミュニティの中で、“論題に関する思考の可視化・ストック化”という目的に賛同した多くの仲間によるプロジェクトでした。そこには多少の意見や見解の違いを越える連帯がありました。

プロジェクトが生まれるためには高い熱量を持って声を上げ、最初の仲間を集めるファーストペンギンの存在が重要です。この企画で勇気を持ってその役割を担った鈴木雅子さんに最大の敬意を表します。一方で、実際にペンギンが海に飛び込む映像を見ていただけるとわかるのですが、ファーストペンギンは自ら飛び込むのではなく、周りのペンギンから押し出されているのです。むしろ最後の方とか押すな押すな状態です。上島竜兵です。その点では大会後にSNSで行われた活発なやり取りこそ、この企画の苗床だったと言えましょう。

 

14年前のJDA決勝で

最後に個人的な思い出を。冒頭で紹介した通り、私の選手としての最終試合は07年の秋期JDA大会でした。当時、安藤温敏さん(この方ほどディベートという競技に選手・運営両面で継続的かつ常にハイレベルに取り組まれている方はいません。いわばディベート界のイチロー。尊敬しかありません。)が残して頂いたトランスクリプトの中から、肯定側立論冒頭の私のサンクススピーチを引用します。

それでは最初にサンクススピーチから。私 、CanD という団体の顧問をしているんですけれども、社会人二年目です。私の会社の人事をされていた方が、「話せぬ若手と聞けない上司」という本を書かれていまして、要するに、今の若手というのはなかなか自分の言葉で話せないし、上司は聞けない、みたいな本です。自分も会社に入ってみて、ディベートをやっていたから、多少は話す能力というのは自信を持っていたんですけれども意外と話せぬ若手だったんだな、と気づいてですね、ディベートというのは、一部のトップディベーターの方は別として、本当に話す能力やスピーチ能力の向上に役に立っていたのかというふうに疑問を持ちまして、今回ちょっとわかりやすいディベートをしてみよう、ということで、出させていただきました。

そのため、今回立論で読む資料というのは、直接引用ではありません。わかりやすくなるように、多少こちらで手を加えて、意訳したような構成になっています。ディストーションの恐れがあるので、ケースに原典を参照できるようにしています。否定側さんはディストーションがないかどうか、シートの方で確認していただければと思います。

それでは始めたいと思います。

ディストーションというのは原典の意図を歪めることです。

 

当時、社会人2年目でなかなかうまく仕事でコミュニケーションの取れない自分に悩み、悪戦苦闘していました。そこでたまった鬱憤、よく言えば問題意識をJDAにぶつけてみたわけです。この大会で僕たちが行った小さな挑戦は、「わかりやすさ」を重視して証拠資料もそのままの引用ではなく、立論の文章に馴染むよう調整、意訳したり、ラベル付けもキャッチーにするといったことでした。

(我儘を聞いてくれた当時のチームメンバーに感謝です。やはりCanDって団体名のネーミングセンスどうなんだという感じは今でもするけど。)

順調に決勝まで勝ち上がったわけですが、このトランスクリプトには安藤さんの以下のような注釈があります。 

なお、本試合においては、特に肯定側第一立論において、ほとんどの証拠資料の原文を一部

改変して(スピーチ中では「参照」と称している)使用している。さらにこのことが勝敗にも大きく影響しているため、改変のある証拠資料に関しては、原文も添付した。

ジャッジ陣の判定競技の中で、「肯定側は試合には勝っているけど、改変を加えた資料の一部(しかも超重要なやつ)、孫引きであることは断わんないと駄目でしょう。なのでこの資料はなかったものとして判定します。」という判断になり、結果1対4で負けちゃいました。

そんな訳で私のディベーターとしての最終試合は少しほろ苦いものになったのですが、今回の第24回JDA秋季大会でも様々な実験的な議論があったようですね。寄稿いただいた記事、当時を思い返しながら拝見していました。

実験をすること、挑戦をすることは例えそれが受け入れられず、失敗したとしても、それ自体が宝物です。結局受け入れられないことだったとしても、ずっと後に思わぬ場所でその経験が活きることもある。

挑戦するディベーターに幸多かれ。ご覧頂きありがとうございました!

【24日】池田さん: スタッフ一筋だった自分が、JDA大会で学んだこと

0. はじめに

こんにちは。秋のJDA大会にTKとして参加させていただいた、池田と申します。そのご縁で今回の企画にお声かけいただき、大会の感想を書かせていただくことになりました。

拙い文章で大変恐縮ですが、この素敵な企画の一助となれば幸いです。

これから、3点に分けて感想を述べたいと思います。

 

1. 勝戦について

私は僭越ながら決勝戦TKをさせていただきました。決勝戦ではガチガチに緊張してしまいましたが、その緊張も忘れるくらい心を動かされた瞬間が2つありました。

 

1つ目は、否定側の零院制の立論を聞いた時です。

普段はTKの業務に必死で議論の内容はほとんど耳に入らないのですが、零院制の話を聞いた時は「えっ面白い!」と思わず聞き入ってしまいました。

今までカウンタープランなどにあまり触れてこなかったためもあるかもしれませんが、普段は別々の論題として議論される2つの政策を組み合わせることで理想的な制度になるという主張に衝撃を受けました。このお話を聞いて、昔ジャッジから「MDだけでなくもっと大きな視点で政策を語れると良い」と言われた意味を、今更ですが少し理解できた気がしました。

 

2つ目は、両選手による試合前の挨拶を聞いた時です。

個人的に、試合前の挨拶は選手のお人柄や大会までの努力が伝わってくる気がして、毎回楽しみにしています。今回の決勝戦は、メンバー全員がJDAの決勝に初出場するチームと、かつて決勝に出た時と全く同じメンバー・パートで再び戦うチームという組み合わせで、どの方のお話もすごく感動しました。

中でも個人的に共感したのは、ある選手が「今までジャッジをされていた方と戦った」と仰っていたことです。JDAでは、社会人チームと学生チームで対戦したり、社会人と学生で一つのチームを組んだりするのが当たり前のように行われています。ですが、普段選手をしていない立場から見ると、そのように選手の競技歴などに関わらず、誰でも対等な立場で戦える点はディベートならではの魅力だなあと感じます。

また、ある選手の方が、「社会人になってもディベートは楽しめる」と強調されていたのも印象的でした。ディベート界には多様な方面で活躍されている先輩がいますが、個人的にはそういう方々にも惹かれ、これからも何らかの形でディベートに関わり続けていきたいなと思っています。

 

2. 一院制と大学以降のディベートについて

 

今大会の論題である一院制には、私も高校三年生の時にディベート甲子園の選手として取り組みました。個人的には、初めて選手をさせていただいたこともあり、非常に難しい論題でした。

選手をしていた当時は、政治制度などの深い部分について中々理解できず、用意した原稿を読むことで精一杯になっていました。それでも、チームメイトに引っ張っていただき、有難くも決勝戦まで進むことができました。決勝戦では、自分の持てる力を全て出して取り組みましたが、自身の議論理解の甘さに加え、基本的な資料の引用などについても至らない点が多く、力不足を痛感する試合となりました。

またチームとしても、シーズン中にずっと考えてきた点に、納得のいく答えが出ないまま終わってしまったような感じがしました。メンバーが悩んでいる姿をずっと見てきて、決勝戦の講評でも観点の良さを褒めていただいた分、もう少しだったのになあというもやもやした思いが残りました。

このような思い出とリンクして、一院制にはかなりネガティブなイメージを抱いていました。

 

ですが3年経って、今秋のJDA一院制の試合を拝見した時、知らない資料がいくつも出され、新しい議論が展開されていることに驚きました。当時とは選手の方の知識量に違いがあることはもちろんですが、二立形式や英文資料の引用等でも議論の幅が大きく広がることを感じました。一院制ってこんなに奥が深いんだと驚くと同時に、これを知らずに中高でディベートを終わらせてしまうって少しもったいないのかもしれないと気づきました。

また、高校卒業後はずっと選手からは遠ざかっていましたが、今大会の皆さんの試合を聞いて、またディベートをやってみたいなと思うようになました。(その影響で、先日初めて即興の大会にも参加してしまいました。)

ディベートは、何年ブランクがあってもふとしたきっかけでまた楽しさを思い出してしまう、不思議な中毒性のある競技だと思います。また、選手じゃなくても、私のように試合を観戦し選手が試行錯誤されてきた議論を聞くだけで、様々な発見を得られる気がします。

 

3. 選手の方々について

今大会は、昔一緒にディベートに取り組んだ方や、運営で知り合いお世話になった方も沢山、選手として参加されていました。学業や仕事がお忙しい中ディベートに真摯に向き合われ、こんなに白熱した試合をされている選手の皆さんを見て、純粋にかっこいいなあと思いました。

ディベートが大好きじゃないと選手は続けられないというイメージがありましたが、今回の大会で、そのような方もすごく大変な思いをしながらディベートに取り組まれていること、また勇気を出して久々にディベートに挑戦される方も実は多くいることを知りました。そんな選手の姿を間近で見ることができて、大会スタッフはすごく幸せだなと改めて感謝しています。

 

4. 最後に

今大会に参加しなければ、私にとって一院制論題は苦い思い出のまま終わってしまっていたと思いますし、ディベートの魅力にもう一度気づくこともできなかった気がします。なので、スタッフとして参加する機会を頂いたJDA大会の運営の皆様には本当に感謝しております。また一スタッフである私にこのような寄稿の機会を下さった、アドベントカレンダーの運営の皆様にも心から感謝申し上げます。

【23日】松田さん: リサーチの中で見えてくるもの

12月23日はJDA秋季日本語大会に選手としてご参加、優勝した松田拓さんです!!

いや~、こんなにどんどん豪華な方たちにご協力いただいて良いんでしょうか。。。

皆さん、ありがとうございます!!

 

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今シーズンでは主に肯定側立論を担当していました。

今回記事のお誘いを受けた際、シーズン中で印象的だった議論はなんだろうと考えたときに一つの議論が思い浮かんだため、対策を考えたその議論について取り上げ、どう向かい合っていったかをお話ししたいと思います。

 

1:難しい問題

肯定側では責任政治の実現のようなメリットを回していました。

現状、二院制であることで政策の責任関係が不明確なところ、プランを取ることで構造的に関係が一貫するというものです。

そのメリットに対し、当時、チームで頭を悩ませていたのが、責任関係が明確になることで政治家が責任を追求されることを恐れ、むしろ政治が進みにくく改革等も行われなくなるというターンアラウンドでした。

肯定側は責任関係が明確になることを証明するのも一苦労でしたが、それを乗り越えてもなお、むしろ論理的にはよくなくなるというこの反駁はかなり当時頭を悩ませるものでした。

因みに反駁で使われている資料は以下のものです。

 

成蹊大学 高安教授 2018年

奇妙なことに、キングらによれば、こうした集権性は「難しい問題(wickedissues)」を先送りするインセンティブも政府内に作り出す。政府は、集権的であるがゆえに、全ての決定について最終的には有権者の審判を受け、総選挙で拒絶されうることを自覚している。それゆえ、大臣たちは、「難しい問題」や取り組むべき長期的問題があることを知りながら、選挙で不利になることを恐れて、これらの問題を避ける傾向がある。熟議が英国政治に定着していれば、党派を超えて取り組むこともできたはずの問題が放置されているというのがキングらの観察である。英国の政治は、政権交代可能な政党システムとこれを可能にする総選挙により、政治権力の担い手を交代させることはできた。しかし、英国の議院内閣制は、政府の失敗を防止するという点では、決して上手く作動してきたわけではないのである。

高安健将(たかやすけんすけ・成蹊大学法学部教授)「議院内閣制ー変貌する英国モデル」2018年』

 

今回はこちらの議論にどう向き合ったのかを少し書いてみたいと思います。

 

2:原典を見てみる

こちらの対策を考えるために、まずはこちらの高安さんの原著を購入し該当箇所を確認。Kindleで購入するとすぐに手に入ることができ、検索もできるため、文明の力を感じる限りです。引用箇所の前後にその反証について書かれていることがあるため、前後をチェック。

特に気になる箇所は見当たらず。

さらに原典をあたってみるかと、高安さんが言っているキングさんの文献を見てみることにしました。

英語の論文は入手難易度が高いことが多くあたることができるか不安でしたが、意外にもKindleで本として出ていました。こちらを購入し見てみることに。

私は英語が得意な人間ではないため、勢いで買ったもののきちんと読めるかは不安でした。洋書をKindleで買ったことがなかったので初めて知りましたが、Kindleではハイライトすると翻訳ができる機能があることを発見。こちらの機能を駆使し、読み解いていくことにしました。

幸いなことに、高安さんの文献でも「難しい問題(wickedissues)」と述べていたので、wickedissuesで検索し、該当箇所の前後を確認することができました。

しかし、確認しても反駁の糸口になりそうな記述はなく、英語の読み解きの苦労は報われない形になりました。

 

3:さらに追ってみる

次に考えたのはこちらを批判するような文献がないかです。

例えば、今回の一院制であれば福元健太郎さんが『立法の制度と過程』の中で参議院不要論的に定量的な論文をあげていますが、それに対して対抗的な研究がいくつ存在しています。

同じように、今回のキングさんの研究に対してなにか対抗的な研究がないかを調べてみようと思いました。先程の「wickedissues」にキングさんの名前や原典の責任の追求などを検索ワードにいれてひたすら検索。他の別論点もみながらになりますが、二日、三日、仕事終わりに夜な夜なGoogleと向き合っていました。

検索していたキーの単語である「wickedissues」自体は今回のキングさんの研究の文脈以外にも使用されることが多いため、想定はしていましたが、なかなか欲しい情報が得られませんでした。

しかし、色々と調べてみると、キングさんが本の出版した後の資料が検索でひっかかってきました。

それを読み解くと次のような内容の記載がありました。(※日本語は機械翻訳です)

Professor of Government at the University of Essex Anthony King 2015

https://www.globalstrategyforum.org/wp-content/uploads/Global-Strategy-Forum-Lecture-Series-2014-2015.pdf p74~p75

その結果、何が起こるのでしょうか?ここ数年の英国の政府システムの顕著な特徴のひとつは、チャールズ・クラークが「難しすぎる問題」と呼ぶように、官僚や大臣が取り組むのをためらう「邪悪な問題」(ホワイトホールではこう呼ばれる)の数が多いことです。チャールズ・クラークが「難しすぎる問題」と呼ぶものです。(中略)

短期主義が支配していると言ってもいいでしょう。これは、政府が不人気なことをすれば責任を問われる可能性が高いことを知っているからでもあります。私が幻滅した3つ目の理由は、まったく別のものです。簡単に言うと、イギリスの大文字の「G」の政府がイギリスで起こっている非常に多くのことに責任を持っていたときには、権力者に責任の矛先を向けたり、賞賛の声を上げたりすることは全く合理的でしたが、先ほどマイケルが言及したこの本の中心的なテーマの1つは、イギリスの人々に最も密接に影響する事柄の非常に大きな割合についてイギリス政府に責任を負わせることは、もはや合理的ではないということです。これにはいくつかの理由がありますが、どれも明らかです。ひとつは、エジンバラカーディフベルファストへの権限委譲です。人々はいまだに国民健康保険サービスについて話しています。英国には国民健康保険サービスというものはありません。英国の4つの国には4つの国民健康保険サービスがあり、それぞれが異なる方針で運営されており、時には根本的に異なる方針で運営されています。

 

「難しい問題」の背景にはイギリスが中央集権的ではない面もあり、権限委譲をしているがために改革を強く推し進める力がないのではないかという仮説を立てることができました。

 

4:ではどうするか

チームでも内容を確認しながら、ブロックのブリーフに投入。

練習試合でも一回、途中までパートナーが返しとして上の資料を用いて返しました。

しかし、資料自体も長く、説明も細かな点に入ってくるため伝わりづらいこともありました。

また、そもそも「イギリスって二院制だよね」や「制度とか違う中そんな簡単にあてはめて言えるのか」とか「そんなにずっと重要な問題を放置したら国民からの批判高まるよね」などが練習試合後のチームの振り返りの中で出てきました。またジャッジの反応からもこの細かな資料レベルで返さなくてもいけるだろうと判断し

「彼らのキングさんの研究はイギリスの事例です。イギリスはイングランドをはじめとする4つの国の連合体であり、日本に当てはまるのか証明がありません。」といったダウトに止める形に落ち着きました。

 

5:どこかで生きてくる

ということで、細かなリサーチをそのまま形にすることはありませんでしたが、背景を知った上で議論を進めることは非常に勉強になったと思っています。

他の論題でもよくありますが、海外の事例は調べてみると他の個別事情や、制度設計が異なることで想定と異なることがよくあります。実は少しそういったものを知れるのも楽しみであったりします(議論的にも、個人の知的好奇心としても)。

多くの経験豊かなディベーターであればこういった話はあるあるな話かと思います。

今回こういった形で記事にする機会をいただけたため、私の視点からではありますが、

一つの議論についてどう向き合ったかの軌跡をなるべくリアルに残すことで、初学者の方の参考になればと思い取り上げさせていただきました。

 

多くのディベーターのこういった試合の影に見えない努力に敬意を表して、文を終わりたいと思います。雑文ですが、読んでいただきありがとうございました!

 

【21日】 運営事務局 奥村: 制度を語るのは難しい ディベートは楽しい

こんにちは。

Debate Advent Calendar 2021運営事務局の奥村です。

 

まずは告知から。

この企画、25日までの予定だったのですが、思いのほかたくさんの記事をいただいたため年末まで突っ走ることとなりました!!

カレンダーの仕様上、26日以降の方は12月2日から6日の欄に載せる形となります。まだまだ面白い議論が登場するのでどうぞお楽しみに!

 

さて。

今年も残すところあと10日ほどになってきましたね。今回のアドベントカレンダーという企画、様々な方から惜しみなく議論をいただいて嬉しい限りです。私自身はJDA秋期大会を見ていませんしリサーチもしていないのでとっても恐縮なのですが、いただいた議論やJDA九州大会でジャッジとして拝見した議論を元に、「一院制論題」に対する戦略的な取り組み方を書いてみます。証拠資料などはありませんので悪しからず。

なお、「クリティーク」に関しては論題と必ずしも関係があるとも限らないのでここでは書きません。自身が出しても良いし出されたときにきちんと対抗する必要はあると思います。

 

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参議院は「必要ない」?

それとも「邪魔」??

 

「日本は国会を一院制にすべきである」という論題からは通常、参議院の廃止が考えられます。(逆に参議院だけを残し議院内閣制からの離脱を議論することもできますが、おそらく首相公選制となり論題に充当しない可能性が高い)

 

では参議院の存在をディベートの議論上どう扱うべきか?

 

1、「必要ない」場合

参議院は「良識の府」などと言って衆議院のストッパーとしての役割を語られやすい。であれば、ストッパーとしての価値がゼロないし限りなく低いということを証明できれば存在意義がそもそもないので、「審議の迅速化」「コスト削減」などの議論が行いやすくなります。

 

この場合のやり方としては、参議院衆議院とほぼ変わらない構成で政党の指示に忠実な存在であり実質的に衆議院と変わらないという描き方となります。

 

ただし、衆議院と変わらないならば廃止して得られるメリットもまた小さい。だから肯定側としては、1日2日でも審議を早める重要性を述べる必要があるでしょう。コロナなど、災害対策の話がありそうかな。

そして否定側としては、衆議院参議院に占める多数派が異なる「ねじれ国会」の価値が肯定側プラン導入のデメリットとして機能させられる。また、衆議院参議院が同じような役割を果たしてしまう理由が現状の選挙制度に起因するものであれば、カウンタープランで解決可能と言ってしまえるかもしれません。

 

逆に、このスタンスを肯定側が取る良さとしては、議論展開の見えやすさかなと思います。現体制においてねじれ国会など数えるほどしかありませんし、「あまり大きく変わらないけど無駄はなくなる」という意味での共感は作りやすい気がします。

 

 

2、「邪魔」な場合

ねじれ国会などはわかりやすく与党(=政府)の政策を邪魔する状態ですね。これについて述べている学者さんや記事も多いので論じやすい一方で、肯定側否定側ともに政策評価が難しいというリスクがあります。つまり、「正しい政策が実行できなかった」「誤った政策を防ぐことができた」というのは結果論、しかもそれぞれの人の感じ方によるところが大きいのでどちらが良いのかの比較が難しくなってきます。

 

ただ本来、「二院制」は両院の対話と対立を予定している制度なので、きちんと議論できれば面白いですよね。肯定側としては、構造的に参議院が政策の内容そのものよりも政局に影響されやすいという主張をすべきでしょうし、「ねじれ」でなくとも衆参の間で政治的な対立が起こりやすいと言えればより良いかなと思います。

昨日の安藤さんが書いてくださった「政権交代」はこの分類になりますね。


 

否定側としては、ねじれ含め衆参の対立を全面肯定していくのが王道。対立構造を明確にするためにカウンタープランで選挙制度をいじるのもありかもしれません。(衆議院小選挙区比例代表並立制も、参議院都道府県ごとの選挙区+比例代表も、二院制固有のものではありません。その制度設計によっては他国の例が使えるかも)

あるいは、肯定側が挙げた参議院の問題が二院制そのものに起因していない可能性が高い場合は、カウンタープランで解決可能と主張するのも良いと思います。(証拠資料で、現行の選挙制度を理由に参議院の問題を指摘している場合など)

いずれにせよ問題解決型のカウンタープランを使うなら、肯定側の現状分析を確認し、質疑を通じてその問題の所在が実は二院制に依らないことをジャッジに印象付けることが大切です。

 

逆に肯定側としては、自分達が指摘している問題が二院制特有のものなのか選挙制度の問題なのか、仮に選挙制度の問題だとするならばなぜその制度になったのか(変えられない理由)、を把握しておくことが不可欠でしょう。

 

 

民主主義は多数決なのか?

 

この一院制論題については様々なカウンタープランが生まれているようです。そもそも議会を廃止してしまう「零院制」カウンタープランに関する議論はアドベントカレンダーでもいくつかご紹介いただいているところ。ではなぜこの議論が成立するのか、そして本当にこの議論が説得力を持つものなのか?

なお、零院制に反論する意図ではありません。多分、具体的な反論を作るのは実際にこの議論を使って優勝された佐久間さんの記事を読んだ方が早いです。

 

二院制には様々な迂遠さがある。制度の根本思想からして当然なのですが、それに対する批判も当然生じる。「国民にとって必要な政策を早く実現しよう!」という価値観から肯定側が議論を立てた場合、より早くするという価値観のもと否定側として議会を廃止するのは一定の理があります。行政への監視機能、立法のやり方など詳細に考えておく必要はありますが。

 

そもそも、議会制民主主義は民主主義の本質ではありません。と同時に、多数決原理も民主主義の本質とは言い難い。この辺りは小室直樹氏の「憲法原論」などとても読みやすく面白いです。証拠資料として使いやすいかは不明。

 

三権分立などごちゃごちゃした制度の大元は、国家権力の存在を前提とした上でのそのコントロールの仕方になるわけですが、この辺りの思想的背景を入れられると議論に深みが出る気がします。「保守」「リベラル」ってなんなのとか、「小さな政府」「大きな政府」とは?とかも一つ考えるきっかけになりそうですね。

 

なかなか難しいところですが、否定側として二院制を主張するなら「国家権力のコントロールの必要性」を説く、零院制を主張するなら行政主体の「スピードこそ正義(間違っていれば即修正という佐久間さんのやり方)」や国民投票をバンバンやるような一つ一つの政策に国民を関わらせる「国民の納得が全て」という価値観、肯定側の一院制ならその中間として「議会としての立法プロセスの意義」みたいな感じになるのでしょうか。

 

テクニカルで言えば、《立論段階から価値観を述べておく・質疑で相手の議論を確認しつつこちらの価値観との擦り合わせをしておく・第二反駁で擦り合わせに成功した価値観に基づいて比較を行う》ができれば快感だと思います。逆にこれができなければジャッジの余計な介入を招く恐れがある。(擦り合わせまでできて介入されたなら運が悪かったと諦める・・・)

 

なお、政治に関する価値観の話をするなら、数年前流行した「これからの『正義』の話をしよう(マイケル・サンデル教授)」の議論を踏まえると良いかも知れません。エビデンスとしてというより、多分言葉の説得力が変わります。

 

 

余談 競技ディベートの面白さ

 

大学生だった20年ほど前、うつくしま未来博(福島県主催)の一環で「首都機能移転ディベート大会」に出場しました。決勝の舞台で否定側に立った私達は、原発のリスクを語りました。「福島県沖でも大型地震は起こりうるし、津波が来れば老朽化した福島第一第二原発は核暴走ないし炉心溶融を起こす可能性が高い。」

副県知事さんはじめ一千人を超える聴衆の前であえてこのような議論を展開したのは、若いディベーターとしてのある種の悪ノリのつもりでした。その議論が、紛れもない現実となったのはそれから10年後のことです。

国内ほとんど全ての研究者が原発の安全性を主張する中で唯一、その危険性を訴えたわずか数人の京大系研究者の著書が私達の議論の根拠でした。

 

ディベートの論題として私が議論したものの中で、裁判員制度は実際に導入されました。

憲法9条の論題などは、今回のJDA秋季大会にジャッジとして参加された鈴木雅子さんとJDA決勝で対戦した記憶が鮮烈です。試合には勝ちましたが、日本を取り巻く国際情勢はこの20年でほぼ彼女が主張した通りとなりました。

 

わずか20分間の立論反駁に込めた論理が、実際に大きく社会の中で動いている。このようなダイナミズムを感じるにつけ、面白い活動に出会えたのだなと感慨深いです。

 

せっかくクリスマスの前なので、ディベーターの皆様に議論を通じた幸が多いことをお祈りして記事の締めくくりとさせていただきます。

 

 

質問批判その他

奥村雅史

cdlr@msn.com

https://www.facebook.com/masashi.okumura.56/

【20日】安藤さん: 某イベント肯定/否定立論

12月20日、本日はなんとなんと安藤温敏さんです!!豪華!

 

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11月下旬の某イベントに出場するために作成した肯定側立論と否定側立論を公開します。周りが全員JDA出場組という、リサーチ面でもスピーチ面でも圧倒的不利な状況で、何とか戦える議論を作ろうと無い知恵を絞りましたが、結果的には肯定側/否定側とも負けて2敗となりました。

肯定側立論は、JDA秋季大会の試合を見ていて、肯定側で唯一残りそうなイシューは「政権交代」かなあ、というところからスタートしています。今季はトリッキーなカウンタープランや、ちょっとしたPlan Spikeで避けられそうなデメリットが多い印象だったので、プラン部分を自由にAmendすることで、こうした議論を避けられるのでは、と考えて、観察の議論をつけました(通常であれば、こうしたHypothesys Testing的な考え方を導入するのは諸刃の剣なので、あまりお勧めできるものではありませんが…)。

否定側立論は、これまたJDAの試合などを聞いていて、今更プレパしてもちょっと勝ち目ないな…と思い、何とか肯定側の議論をうまく利用して勝ちに行ける方法は、と考えてひねり出したものです。ちょっと考えればいろいろ弱点は出てくるのですが、作ったときはPermutationに弱いだろうな、と思っていました。結局実際の試合ではTopicalityで来られて、不意打ちを食らった形になり、負けてしまいました…。試合では、論点4は1NCで読んでおらず、それ以前の部分をゆっくり読んで1NCを終えて、Permuteされたときの反論用に論点4を用意していました(が、結局Permutationは無かったので、一応2NCで読んだものの、ちぐはぐな感じになってしまいました…)。

では、ご笑覧ください。

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■■■肯定側立論■■■

観察1:判断の枠組み

A 私たちは、政策論題の下で政策ディベートを行っています。

B このディベートにおいては、議論の中で最良の政策を決定し、それが論題に含まれるか、論題の外にあるか、で、肯定側に投票するか否定側に投票するかを決定します。

C そのため、肯定側は、否定側の提出するデメリットやカウンタープランなどの議論に対抗するために、第二立論以降でプランの修正や追加、カウンタープランの取り込み等を行うことによって、最良の政策を追求する権利を有します。

観察2:判断基準

A 議会のシステムを議論するにあたって、そのアウトプットとしての法律の質は、判断基準になりません。なぜなら、ある法律が良かったか悪かったか、は立場によって変わるものですし、短期的・長期的など見方によっても評価は定まらないからです。すなわち、政治というのは、結局のところ利益配分をどうするか、という問題であって、国内外に様々な立場の人がいる以上、評価は多面的にならざるをえず、絶対的な評価は不可能だからです。

B 現在の代議制民主主義のシステムを確立するために、我々の先祖や友人が多くの血を流してきています。古くはフランス革命アメリカ独立戦争、そして第二次世界大戦。現代でも香港の民主化運動など。これらの犠牲を前にしたときに、システムのアウトカムとしてのちっぽけな利益や不利益に振り回されて決定を行うのは愚かなことです。

C したがって、我々はシステムの「結果」ではなく「プロセス」に目を向けるべきです。この時、システムを選択する基準になるのは、「透明性」と「公平性」です。

C-1 まず、政治は透明である必要があります。ある政策がどのようなプロセスで生まれたのか、どのような議論があったのか、不透明な状態で結果だけ示されても、それが良い政策であったとしても再現性がないし、失敗した場合にその後どうすれば良いか検討することもできません。

C-2 加えて、政治は公平でなければなりません。政治が腐敗し、国民の総意に基づかない、特定利益集団が優遇されてしまうことは、国民が選挙で投票する意味を無くし、国民の無気力感、ひいては更なる政治参加の抑制につながり、最終的に民主主義の破壊につながるため、絶対に避けなければなりません。


以上を踏まえて、プラン

1 日本は2025年より衆議院参議院を統合し、一院制を実施します。
2 当面の国会諸制度は、まずは衆議院に準じますが、状況に応じて柔軟に変更します。


プランによるメリット:政権交代

論点1:内因性

A 二院制の存在が、政権交代を妨げ、現状の自民党政権を永続させ、癒着や腐敗の温床となっています。

A-1 衆議院総選挙のみならず、二回の参議院選挙でも勝利しないと、真の政権交代とならず、自民党政権の克服が困難を極めています。

駒沢大学、大山、2004年
「おまけに、日本には衆議院総選挙の結果だけで政権の枠組みを決定できないという事情もある。意外に認識されていないことかもしれないが、日本の二院制は英国などの諸外国と比較して、第二院(つまり参議院)の権限が強力であるところに特徴/がある。[中略]結局、たとえ、衆議院過半数議席を占める政党であっても、同時に参議院過半数を確保しない限り、安定した政権運営は望めないということになる。」終わり。
[大山礼子(おおやまれいこ・駒沢大学法学部教授)『マニフェストで政治を育てる』雅粒社、2004年、p.131/132]

A-2 2009年には、奇跡的に民主党衆議院総選挙で勝利し、政権交代が実現しましたが、一年もたたないうちに、翌年の参議院選挙で敗北したために、それ以降まともな政策を打つことができずに、民主党政権は短期で終了してしまいました。このような状況では、利権構造を根本的に変えることは難しいです。

過去の政権交代では、短期間で自民党政権に戻ってしまったため、自民党のシステムを崩すことができませんでした。

東京大学、御厨、2013年
「一九九三年の「政権交代」、二〇〇九年の「政権交代」、いずれも反自民のうねりの中で誕生した新政権は、内部分裂を主たる要因として、片や一〇カ月、こなた三年三カ月で崩壊の憂き目にあった。さすがは酸いも甘いも噛み分けた、あたかも”ヤリ手婆”のごとくに、自民党は/政権奪還をなしとげている。今やもうこの国の統治機構の中に、半永久的にしっかりと組み込まれ分かち難い存在であるかのようだ。」
御厨貴(みくりやたかし・東京大学先端科学技術センター客員教授)『政権交代を超えて──政治改革の20年』岩波書店、2013年、p.153/154]

A-3 自民党長期政権が、官僚との癒着や腐敗の温床となってしまっています。

駒沢大学、大山、2004年
「政官財の構造的癒着、与党を中心とする閉じられた政策決定過程、有力政治家の談合によるリーダー選出など、日本政治の問題点として指摘される事柄の多くは、/長期に及んだ一党優位体制と深く関わっている。政権交代の可能性がほとんど存在しなかったため、自民党政権下で形成された既得権益を優先する政策決定が常態化し、自民党総裁(すなわち首相)の選出では、有権者の支持を獲得できるリーダーの擁立という目的よりも仲間内の論理が先行してきた。」
[大山礼子(おおやまれいこ・駒沢大学法学部教授)『マニフェストで政治を育てる』雅粒社、2004年、p.vii/viii]

B 二院制の存在により、参議院との水面下の交渉を余儀なくされ、政治の不透明性につながっています。

政策研究大学院、竹中、2010年
「ですから、参議院の影響力というのは、何も参議院における法案審議過程にだけあらわれるのではなくて、事前に参議院の意見を織り込んで法案の内容を準備したり、あるいは衆議院であらかじめ法案を修正したりすることにも表れていると考えるべきです。[中略]その織り込む過程というのは、参議院における法案審議過程が始まる前にやるのではないか。だから、それ以前の政治過程も見ないと参議院の影響力というのははかることができないのです。」
[竹中治堅(たけなかはるかた・政策研究大学院教授)「参議院とねじれ国会」日本記者クラブ研究会「参議院」①、2010年8月2日、https://s3-us-west-2.amazonaws.com/jnpc-prd-public-oregon/files/opdf/468.pdf

論点2:解決性

A 一院制を取ることにより、総選挙一発勝負で政権が決まることになり、政権交代の可能性及び、政権交代した時の安定性が高まります。

実際、スゥエーデンでは、1971年に一院制を採用するまでは約25年で2回の政権交代だったのが、一院制採用後の約10年で5回の政権交代を実現できています。

B 政権交代が定着することにより、透明性および公平性の確保が可能になります。

上智大学、河崎、2018年
「しかし中道や左派の政党が長期的に政権に就くことで、行政官僚の中にも多様な政策志向が浸透していく可能性がある。また政権交代の機会が高まることで、官僚の側も特定の政党に近づきすぎることに慎重になるだろう。我が国でも政権交代可能な政治をめざすこと、自民党以外の政党による長期政権が誕生することが肝要と思われる。」
[河崎健(かわさきたけし・上智大学国語学部教授)「先進国との比較でみる日本官僚制──政官の癒着防止には政権交代可能な政党政治の確立が不可欠──」『改革者』59(6) 2018年6月、政策研究フォーラム編、p.9]

実際、ネブラスカ州では、一院制にすることにより、水面下での交渉などが無くなり、政治の透明性が増しました。

ネブラスカ州副知事、ロバク、1997年和訳
「委員会会議がなくなったことで、秘密交渉やロビー活動が法律制定に影響を及ぼす可能性も減少した。一院を減らすことによって、理にかなった法案が通過する機会を失うことが少ない、より効率的なシステムができた。シンプルで、開かれたシステムは、議員たちに、選挙民に対して応える責任を植え付ける一方、公衆には、自分たちが選んだ議員のパフォーマンスを判断するための、公に十分な情報が提供されることになった。」
[Kim Robak (Nebraska Lieutenant Governer), “The Nebraska Unicameral and Its Lasting Benefits”, Nebraska Law Review Volume 76 Issue 4, 1997, https://digitalcommons.unl.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1523&context=nlr
[原文]
“Eliminating the need for conference committees reduces the likelihood that secret negotiations and the lobby will influence legislation. Reducing the system to one house creates a more efficient system without sacrificing the opportunity to pass well-reasoned legislation. A simple, open system places responsibility on legislators to answer their constituencies while giving the public sufficient information to judge the performance of its elected officials.”]


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■■■否定側立論■■■

否定側政策:Parallel Diet または平行議会

プラン

1 否定側は、二つの議会を用意します。その各々は、肯定側提案内容と全く同一のものとしますが、以下の点のみ異なります。

A 一つの議会は東日本に置き、二つ目の議会は西日本に置きます。その範囲であれば、場所は特に重要ではないので、任意とします。これらを仮に「東院」「西院」と呼びます。

B 「東院」「西院」の任期はそれぞれ4年とします。選挙時期は2年ずつずらして、2年ごとに各院の総選挙を行います。解散は認めません。

C 同時に両議院の議員になることはできません。

D 内閣総理大臣は、直近の総選挙のあった院から出します。

E 内閣による、法案を含む議案は、「東院」「西院」に半分ずつ提出します。提出する議案の内容は、内閣で決定します。

F 各院で可決した法案は、それぞれ独立して法として成立します。

G 各院は、お互いの院に提出された法案への反対ないし妨害法案を提出することはできません。また、内閣不信任決議もできません。

2 その他、必要に応じて、プラン内容は2NC以降で追加・修正します。


論点1:非命題性

カウンタープランは複数の議会を用意するので、一院制ではありません。


論点2:競合性

カウンタープランは、複数の議会を持つ事がその本質なので、一院制と同時採択することはできません。


論点3:優位性

カウンタープランは、あらゆる点でプランより優れています。

A カウンタープランは、プランの二倍の速度で法案を通すことができます。「東院」「西院」の最大政党が同じであれば、両院は完全に同じ国会として機能し、一院だけで処理する速度の二倍の速度で議案を処理することができます。また仮に「東院」「西院」の最大政党が異なる場合も、内閣が各院に送る法案を選択することによって、反対派の院であっても法案を成立させることができます。

A-2 実際、分裂議会でも、閣法の成立率自体はほとんど変わらないので、提出する法案を選べば、野党が多数を占める院でも法案を通過させることは十分可能です。

慶應大学、松浦、2017年(表の閣法審議結果引用)
一致    2005年(162)    84.3%
一致    2006年(164)    90.1%
一致    2007年(166)    91.8%
分裂    2008年(169)    78.8%
分裂    2009年(171)    89.9%
一致    2010年(174)    54.7%
分裂    2011年(177)    80.0%
分裂    2012年(180)    66.3%
分裂    2013年(183)    84.0%
一致    2014年(186)    97.5%
一致    2015年(189)    88.0%
一致    2016年(190)    89.3%

[過去10年(2007-2016)において、一致議会(5年)の平均84.3%、分裂議会(5年)の平均79.8%]
[松浦淳介(まつうらじゅんすけ・慶應義塾大学SFC研究所上席所員)『分裂議会の政治学参議院に対する閣法提出者の予測的対応─』木鐸社、2017年、p.20]


B カウンタープランは、プランよりも政権交代の可能性やその緊張感を高めます。プランの倍の頻度で総選挙が行われ、かつ、一回の総選挙に勝利すれば政権を取ることができるので、この点でもプランより優れています。

C カウンタープランにおいても、政策の責任は明確です。内閣は、重要法案であれば、自分たちが多数派の院へ送れば良いですし、反対院に送って否決されたとしても、それは政権のミスなので、責任が不明確、という事はあり得ません。


論点4:カウンタープランメリット 災害対応

A 固有性

今後、東京での大震災やテロ、停電などで国会機能が停止する可能性が高いです。

芝浦工業大学、大内、2006年
「直下型にせよ、プレート型にせよ、「首都大震災の危機」はますます迫っています。直下型とプレート型が同時に来てしまうことだってあり得ます。現在、中央防災会議でいろいろな議論が行われていて、専門家から、例えば帰宅困難者が600万人以上出てしまうなど、さまざまなシミュレーションが出されています。あるいは、海外の保険会社が、東京はほとんど保険もかけられないほど大きな危険をはらんだ都市であるという評価をしている例もあります。さらに、テロの問題や、大停電などでシステムが機能しなくなるという問題もあります。民間企業、特にグローバルに展開している企業は既にバックアップの措置をとっているのに、国政だけが何もしていないのは問題であると思います。」
[大内浩(おおうちひろし・芝浦工業大学工学部教授)「緊急性と重要性を兼ね備えた首都機能移転と新しい都市デザイン」平成18(2006)年12月5日 https://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/onlinelecture/lec106.html

国会以外の行政機能は、地方支分部局などに退避しつつあるので、鍵になるのは、国会機能のバックアップです。

国立国会図書館、山口、2013年
「我が国でも、1980 年代後半以降の首都機能移転論議の傍ら、国の行政機関の一部移転が進められ、主に、東京都多摩地区や埼玉県さいたま市、神奈川県横浜市川崎市などに、国の研究・研修施設、関東地方を管轄する地方支分部局、当時の公団・事業団が移転している。」
[山口広文(やまぐちひろふみ・国立角界図書館専門調査員)「大規模災害時における首都機能の継続性をめぐる視点」『レファレンス』2013年2月 http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_7800398_po_074501.pdf?contentNo=1

B 発生過程

災害発生時に、東京にしか国会機能が無いと、災害対応が麻痺してしまいます。

芝浦工業大学、大内、2006年
「大事なことは、「災害被害者は災害救済者には決してなれない」という点です。阪神・淡路大震災のときには、たまたま大阪はそれほど大きな被害は受けませんでしたし、東京は全く被害がなかったということもあって、国会が召集され、復興支援のための特別立法を30本以上制定することができました。しかし、東京が大震災に遭った場合、1週間、あるいはもっと長く国会や行政が機能しない可能性もあります。このような場合では特別立法を制定するどころの話ではありません。」
[大内浩(おおうちひろし・芝浦工業大学工学部教授)「緊急性と重要性を兼ね備えた首都機能移転と新しい都市デザイン」平成18(2006)年12月5日 https://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/onlinelecture/lec106.html

C 深刻性

現状や、プランのように、東京にしか国会機能がない状況では、国家としての機能が麻痺してしまい、復興もままなりません。複数拠点を持つことにより、こうした被害を避ける事は重要です。

芝浦工業大学、大内、2006年
「では、そのときにどうすればよいのでしょうか。私は、いつ、どこででも閣議や国会を開けるようにしておくことが日本にとってふさわしい選択ではないかと思います。[中略]大事な点は、「首都機能が同時被災しない」ということです。つまり、同時被災しないところで閣議や国会を開催できるというシステムをつくることが危機管理における最大のテーマであると思います。」
[大内浩(おおうちひろし・芝浦工業大学工学部教授)「緊急性と重要性を兼ね備えた首都機能移転と新しい都市デザイン」平成18(2006)年12月5日 https://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/onlinelecture/lec106.html

【19日】中島さん: 参議院カーボンコピー論の検討

12月19日はジャッジとしてご参加だった中島有希大さんの記事です!

 

参議院カーボンコピー論の検討: 選挙制度の観点から

中島有希大 

 

1. はじめに

Debate Advent Calendar 2021 の 14 日目の記事となります。 一院制を論題として扱った 2021 年秋 JDA 及びその練習試合に筆者はジャッジとして呼んでい ただき、数試合フローを取りながら試合に参加した。議論の実験場としての JDA 大会はやはり面 白いディベートの試合をいくつも観戦できた。まずは全ての選手に対して、その努力と試合の内容 に称賛を送りたい。

ディベートの試合の判定は各審判の持つ事前知識は考慮に入れず、試合の中で出された議論のみ に基づいて判定が下される。この前提は尊重しつつも、筆者は日本政治、とりわけ選挙を専門に研 究をしていることから、論証についてやや思うところもあった。本日は 1 つだけ例を挙げながら、 どのようなことを議論として試合の中で提出するとより魅力的な議論にすることができたのかとい うことについて、一意見を述べたい。なお、前述の通り今大会はジャッジとしての参加であり、選 手として準備をしていないため、既にその議論は弱いと判断されたものであったり、文字数の関係 から省略をせずにはいられなかったりしたのかもしれない。コロナ禍のため、できなくなった居酒 屋談義を文字を通して行っていると思って気軽に読んでいただければ幸いである。書く側としても 実名で書きつつも気軽に書いているので将来決して、「中島 2021 より引用」などと試合内で読み上 げないでいただけるとありがたい。おそらく引用しやすい文章にはなっていないが。

今回は参議院カーボンコピー論について扱っていきたい。参議院衆議院カーボンコピー (Carbon Copy) であるというのは、参議院衆議院での決定を承認するだけの機関であるという ことを批判する文脈で使われる表現である。議論を検討する前にまずは日本の選挙制度を概観して いきたい。

 

2. 日本の選挙制度

日本ではご存じの通り、衆議院では小選挙区比例代表並立制参議院では選挙区及び比例代表制となっている。少し丁寧に検討していこう。小選挙区制は英語ではSingle-member district と表すことができ、1 つの選挙区に対して 1 人が当選する制度である。当選者が 1 人しかいないため、基本的に政党は 1人の候補者しか立てない。衆議院議員総選挙は政権選択の意味合いも強いことから人を選ぶよりも政党を選ぶ意味合いが強い。

衆議院比例代表は拘束名簿式いわゆるクローズドリスト方式となっており、政党があらかじめ順位を設定し有権者が直接選ぶことはできない。ただし、政党が完全にリストをコントロールしているわけではなく、多くの場合政党は小選挙区に立候補させた候補を比例代表でも重複して立候補させ、小選挙区で落選した候補の惜敗率によって比例代表制での当選者を決定する。どちらの場合にも直接有権者が候補者を選択することはできず、選択ができるのはあくまで政党である。参議院の場合は、選挙区制といっても 2 つの制度を内包した制度となっている。1 つは小選挙区制である。もう 1 つはいわゆる中選挙区制である。中選挙区は英語での表記がわかりやすい。英語で書くと Single Non-Transferable Vote(SNTV) である。この SNTV の制度下では当選者が複数いるのにも関わらず、移譲できない 1 票しか有権者は投票できない。日本で過ごしているとこれが当然のように感じるが、世界的にみるとこの制度を採用している国は珍しい。SNTV が大半を占める選挙制度下では、政党は 1 つの選挙区に対して複数の候補を立てなければ過半数を獲得できない。しかも 2 人の候補の得票を仲良くシェアすることはできないため、同じ政党内の候補者間でも争う必要が生まれる。そのため、SNTV は個人に対する投票の意味合いが大きくなる選挙制度であるといえる。

参議院比例代表制度は衆議院のそれとは異なっている。参議院比例代表制は非拘束名簿式いわゆるオープンリストとなっている。政党が予め用意したリストの中から候補者名を有権者は投票用紙に書くことができる。もし特定の投票したい候補者がいなければ政党名を書いても良い。近年制度が改正され、一部を拘束名簿式にする特定枠が導入された。ともあれ、候補者名を書くことができるという点で衆議院よりも候補者個人に焦点があてられた選挙制度であるといえるだろう。

長々とシーズンを終えたディベーターにとってはごく当たり前であろう制度について整理をしてきた。大切なのは、衆議院では候補者個人ではなく政党を選ぶ選挙となっており、参議院では候補者個人に対する投票に重きが置かれやすい選挙制度になっているということである。

3. カーボンコピー論の検討

さて、ここでやっとカーボンコピー論の検討に戻りたい。肯定側は、「参議院衆議院のカーボ ンコピーであるため、実質的に機能しておらず、決定の迅速化のために一院制とするべきである」 と主張する。一方で否定側は、「参議院衆議院と汲み取っている民意が異なっており、参議院に よって重要な修正が今までも多くなされてきた」と議論を展開する。この時に否定側で一般的に主 張されていた「参議院があることによって、より民意が汲み取れる」理由として挙げられていたの は選挙のタイミングであったように思われる。そうすると肯定側から「現在はインターネットの普 及により国民の意思が社会で一般化し国会の場で取り上げられるまでの時間は極端に短くなってい るため、参議院は不要である」という主張が強く効いてくる。

しかしながら、上述のように衆参の違いは民意を集約する時期の違いのみではない。そもそも選ばれている代表のタイプが違うのである。衆議院議員はより党による拘束が強く、参議院議員は個 人投票により当選している部分も大きいためより自由が効くと考えられる。そうすると衆参の違い は民意のタイミングなどとは別に国政に取り上げる内容の違い(ここでは国会内か政党内かは問わ ない)として表れてくる可能性がある。

さてこの理論上の想定は正しいのであろうか。建林 (2016) では興味深い研究結果を報告されて いる。この研究では、衆参の国会議員に加えて都道県議会議員に対してサーヴェイを行った。そ の結果を一部引用したい。

京都大学教授 建林正彦  2016 より引用

「また政治競争アリーナ・選挙制度変数については、全体サンプルについては、衆議院比例単独 組、参院小選挙区参院中選挙区参院比例区がいずれもプラスの係数を示している。参議院につ いてはいずれも予想通りの結果であり、参議院議員、特に中選挙区組や参院比例組はより強く、政 党マニフェストよりも自身の支持者や支持団体をより重視する傾向を持っていることがわかる。」 引用終わり。

(建林正彦 (2016) 「マルチレベルの政治競争アリーナにおける議員と政党」『公共選択』66, p26-48.)

衆議院小選挙区当選議員と比較して参議院議員は政党の決定よりも自身の主張や支持者の意見 をより重要視している傾向があることがこの分析の結果によって示されている。ただし、後続の文 章で理論的な予測とは異なり、衆議院の比例単独議員たちも政党中枢から自律的であることが示さ れているが、論文の著者は特定の支持団体と強く結びついた候補による影響ではないかと推測して いる。

試合の中で引用しやすいかは別にしてやはり、衆参では代表される民意が時期とは別に構造的に 異なることがわかる。そうすると参議院が国政に与える影響は衆議院とは異なるものであるという ことが予想される。参議院衆議院の完全なカーボンコピーであるかというとそうではなさそうで ある。これは仮にインターネットによって情報伝達の速度が速くなったとしても解消されない参議 院議員の特徴だといえるだろう。

4. インプリケーション

以上では、参議院カーボンコピー論について検討した。衆参の違いは選挙のタイミングだけではなく、選挙制度が異なることにより、代表者の性質が異なることが示された。代表者の性質が異なれば、代表者たちによって生み出されるアウトプットも必然的に異なることが予想される。ここから広くディベートに活かせると思われる点は 2 点ある。

1 点目は、何か現象を観察した時にはなぜなのかをきちんと考えることの重要性である。衆参での代表者に違いがあるのかといったときに、タイミングだけではなくその制度の構造的違いがもたらす影響について論じることができれば、多少の反論は追加の引用をせずに返すことができるだろう。この原因や構造に触れながら現象を説明することが冒頭で触れたより魅力的な議論に繋がると筆者は考えている。 

2 点目は、1 点目とも通じるところであるが、学問的背景は案外有用だということである。もちろんディベーターは多くの論文を読み、引用している。しかし、その時に学問的な背景がわかるとどんな論文がありそうか、なんとなく想像ができてくる。また、1 つ 1 つの論文だけでは見えてこなかった視点が見えてくることもある。

 

アカデミックディベートでは政治系の論題を扱うことも多い。ぜひディベートでより魅力的な議論をするためにも年末年始に政治学の教科書を 1 冊でよいので手に取ってみてはいかがでしょうか。
良い年末年始を。Enjoy!

本企画では建設的なコメント、応援コメントのみ掲載させて頂きます。執筆してくださっている方へ温かいコメントを是非お願い致します!