【11日】太田さん: JDA大会を見学することの楽しさ
Debate Advent Calendar 2021
6日目の今日(12月11日)は、、、JDA秋季日本語大会をご見学なさった太田さんの記事です!
見学、と言うと消極的な印象を持ちがちですが、太田さんは超アグレッシブ!!頭をフル回転させてディベートを観ていらっしゃるのが伝わってくる記事です。ちゃんとフローを取るとかそういう次元を遥か越えて、観戦するって学びの宝庫になり得るんだな、という高揚感を感じる熱い記事を頂戴しました。
以下、12月11日分 太田春土さんご執筆記事です!
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「JDA大会を見学することの楽しさ」
先日行われた一院制論題の秋季JDA大会では見学として参加し、その時の感想です。私は東北地区に住んでいるので普段なら自分が大会に出場しない限りは見学に行くことは難しいのですが、今年はオンラインで大会が開催されたことによって予選から決勝まで通しでJDA大会を見学することができました。オフライン大会にはオフラインならではの良さがあると思いますが、遠方住みだとオンライン大会の恩恵をかなり享受できてとてもありがたいです。
見学でJDA大会に参加することは、選手として大会に参加する時とは違った面白さがあると思っています。
見学したどの試合も接戦の試合だったり、自分では予想していなかった議論が出てきたりといった具合で見学している私も興奮するような試合ばかりでした。特に私も選手経験があるので議論を準備するまでに至ったシーズンでの経緯や苦労に勝手に思いを馳せたり選手側の熱意やバイブスが伝わってくると、色々と込み上げてくるものがあります。
私は自分の思考の枠組みと比べながら試合を観るのが趣味なので、色々なことを考えながら試合を楽しみました。自分の思考の枠組みと比べるとはどういうことかというと、「自分ならどうするか?」「この議論はすごい!ただ自分がこの議論を思いついて作れるようになるにはどうすればいいのか?」を考えるということです。例えば、話題の決勝戦では零院制の議論が出てきました。議論の中身自体洗練されていたことや民主主義にとって議会はなぜ必要なのかという示唆に富んだ内容だったことから、こんな議論があるのかと思いながら見るだけで既に楽しいです。ただ、私が試合を聞いていてもっと興味を持ったのは自分が選手でこの大会に出たと仮定した時に、「自分だったらこの議論を作れるのか?あるいは作れないとすればどのような思考をすればこのような議論を作れるのか?その違いは何なのか?」です。少し考えてみて欲しいのですが「一院制」や「参議院」というワードで文献を調査したとしても、「零院制」について論じている文献に辿り着くことは難しいのではないでしょうか。そもそも否定側は「零院制」について論じている文献を引用している訳ではないですしね。肯定側が「審議の迅速化」を出してくることが多いのでその極限をとるというのを思考の出発点にするにしても、首相公選や国民投票で民意の接続を保つというプランを(このプランの良し悪しは別として)思いつけるのか、観察のシュミットの話を自分なら思いつけたりリサーチで辿り着けるのか?それが難しいのであれば、どのような考え方やリサーチをすればこの議論を自分で作れるようになるのか?など色んな興味が湧いてきます。どうしてこのようなことを考えて見学をするかというと、自分の議論の癖を知ったり、自分の成長の役に立ったり、あとは純粋に試合を観るのが何倍も面白くなるからです。実は決勝戦での先ほどの疑問の内いくつかは否定側の選手本人がブログ[1]で書いていてくれたりする訳ですが、自分なりの考えを持った上でそういったブログを読むとトップディベーターと自分の考え方の違いを知るきっかけになります。この記事を読んでいる方も是非考えてみて下さい。難しければ決勝戦をみて肯定否定問わずあなたが凄いと思った資料やいい議論だと感じた論点を一つ選んでみて考えてみて下さい。「あなたは無限の時間があったとして白紙の状態で今までのプレパのやり方でその資料や論点に自力で辿り着けると思いますか?辿り着けなければ、どのような考え方やリサーチの仕方をすればその資料や論点に辿り着けると思いますか?」例えば、否定側の選手はシュミットを事前に知っていたんじゃないかという仮説を私は持っていたのですが(もし、事前に知っていたならどういう経緯で知るのだろうか?政治学・政治理論・思想史あたりが怪しい?みたいな仮説に続いていきます。)、ブログを読むと事前にシュミットを知っていた訳ではなく「こういうこと言ってそうな理論家は誰だろう」という仮説を立てて見つけたそうです。皆さんももう予想されているかもしれませんが、この事実を知ると今度は「民主主義と議会制に必然的な結び付きがあるわけではないと言っている理論家がいるはず」という予想を自分は立てられるだろうか?という疑問が湧いてきます。面白いですね。
このように書くと、「“自分”がなくなってしまうのではないか?」という懸念を持つ人がいるかもしれません。しかし、人間の考え方はそもそも生まれた国の文化や言語の仕組みによって縛られるという大げさな話を持ち出すまでもなく、私たちは他人の意見や言葉を参照しながら思考する他者依存的な存在であって完全に周りから孤立した純粋な“自分”なるものがそもそもある訳でもないです。単純な話、自分と選手を比較するのであって鵜呑みにする訳ではないですしね。また、観戦した試合で出てきた議論を「自分ならどのように反論するのか」という選手にリスペクトを持ちつつも出された議論を批判的に検証するという多くのディベーターが既にやっている遊びも当然面白いので観戦中にやっています。もちろん、自分の予想と反した反論を選手がしたらその違いを考えるのも面白いです。プレパしてないのに反論を予想するのが難しい人は、どの論点をドロップしてはいけないのかとかだけでも考えて選手の議論と比較すると気づきがあると思います。ただし、うまい選手でもノリで余分な資料を読んだりドロップしたりミスったり完全無欠って訳でもないので批判的な視点はもちろん大切ですけどね。
こうした自分とうまい選手の思考の違いを考える際に生じた疑問に対して仮説を持って次の大会で試してみると色んな発見があります。「自分はこういうことが分かっていなかったのか!」とか、「立てた仮説通りプレパしてみたらあんまりうまくいかなかった、逆に今までのプレパのこの部分は自分の強みなのかもしれない…!」とかです。そういった発見を持ってまた試合の見学に行くと、ちょっとだけ自分がうまくなってたり見る目が肥えてたりするので今度は今までとは違った疑問や今までの自分では気づけなかった選手の凄さを知ることができたりして、もう泥沼です。ただし、選手として大会に出たときは、他人と自分の思考の枠組みを比較するのはそもそもプレパが大変で難しいし、あまりしない方が良いとさえ思います。思考の瞬発力みたいなものが落ちますし、相手からいい議論を出されたときにすべきことは自分で作れようが作れなかろうが「目の前のその議論をどのように反論するか」であって「自分ならどうすれば作れるんだろう?」と考えてしまうのは特に時間制限のある試合では致命的です。やはり、観戦ならではの楽しみ方だと思います。
自分の思考の枠組みと比較しながら試合を観ることの副次的なメリットとして、オフシーズンにプレパができるというのがあります。「自分はこういうことが分かっていなかったのか!」と発見した際の私の体感として「実は今までに聞いたことのあるディベートのアドバイスを自分が理解していなかった」と「特定の専門分野の入門的(基礎的)な考え方を自分が知らない」の2点が結構多いです。疑問から生じた仮説を持ってむかし一度読んだディベーターのブログを読み返したりジャッジの講評を聞き直したりすると腹落ちの仕方が違ったりします。また、これらのコンテンツは自分が仮説を立てるときにも役立ったりします。あとは、試合を観ると特定の専門分野に興味を持って入門書を読むのが楽しくなったりします。今回の大会の見学の後に思想史の本を読んだり政治学の教科書を読んだりしたのですが、「あっ、これ試合で出てきた話だ」「試合で出てきた話はこの分野だとこういう位置づけにある話なのか。ならこういう議論も作れそうだなぁ」とか普通に読むよりも面白いです。そういった複数の体系を知っていると後々の大会に出た時に役立つことがあるし、大げさな言い方をすれば世界の解像度が良くなり気持ち良いです。もちろん、オフシーズンにプレパしてないと勝てないとか、したから勝てるというものでもありません。特定の狭い領域を深くなぜだろう?と探求すると案外すぐに煮詰まったりする場合があるので、どこかで論理的なジャンプが必要で試合観戦がそのきっかけになり得るという話でした。
決勝戦以外の試合でも考える材料や面白いと感じる議論はたくさんあるものの、私が勝手に盛り上がってる話ばかりになってしまいました。
時間制限なく自分勝手に盛り上がって楽しめるのもJDA大会を見学する良さかもしれません。
[1] https://note.com/ymtk1996/n/n7b76d6bef617?fbclid=IwAR21MJjpMw3Oime2h4DKtknnnN9VXsnqWwTbqIR76MuSvUQoJ0sDEnAYaHo