【15日】阿部さん: 零院制に国民投票は必要か

0.はじめに

はじめましての方ははじめまして、お久しぶりの方はお久しぶりです。本日は私の担当ということで、JDA決勝でも否定側チームが回していた、零院制カウンタープラン(以前のディベートアドベントカレンダーで選手の方が原稿を公開されているので、詳しくはそちらを参照してください)に対する反駁原稿を紹介していこうと思います。

ただし、零院制に対する反駁原稿といってもJDA勝戦で提出されていた形式のカウンタープランを論じたものではありません。実は、私がJDAに引き続き出場した大会、CoDA全日本でも複数のチームが零院制カウンタープランを回していたのですが、その議論を回していた方々は皆元々の制度設計から、国民投票制度を削除した形で立論を作成していたのです。おそらく、国民投票の部分から発生するデメリット(衆愚政治とか、マイノリティ排除とか)を避けるために国会廃止のみで勝負しよう、と思われたのかもしれませんが、そういう制度を前提とするとJDAの時とはまた違った議論展開になってくるでしょう。実際、当該チームとは大会当日に対戦しましたが、JDAの練習試合とは中々違った試合展開となりました。ということで、今回はこうした「国民投票制度がない状態での零院制」(便宜上全日本版零院制と呼びます)に対する反駁原稿を、検討してみます。

なお、以下で掲載する原稿はCoDA全日本のチームメイト、斎藤君と加藤君と協同で作成したものです。正直大会全体を通しても二人には引っ張ってもらいっぱなしだったので本当に感謝しています。

1.カウンタープランの非命題性

さて、「国民投票がない零院制を考えてみよう!」といったものの、我々の反駁原稿はカウンタープランの非命題性に対するチャレンジから始まっております……国民投票関係ないので読み捨てていただいても構いませんが、実はJDAではそれほど話題にならなかった部分かなと思うので、記事の前振りとして一応掲載しました。

・非命題性に対するアタック原稿

まず、CPの非命題性について、反論します。ここでの肯定側の主張は、否定側のCPはtopicalであるということです。
最初に、一院制についての定義を行います。
政治学者 田中浩はニッポニカで一院制を「国民の代表機関である議会が一つの会議体だけで構成されているもの。」と述べています。
(出典:https://kotobank.jp/word/一院制-31215)

これを踏まえて、議会とは何かについての定義を述べます。
同じく田中浩はニッポニカで議会についてこう述べています。
民主主義国家における国民代表的性格をもつ会議体。議会は別名立法府(立法部)とよばれるように、その主たる権限は立法権にある。終わり。
(出典:https://kotobank.jp/word/議会-49965)

続いて、否定側のCPが一院制と同一であることを説明します。
否定側の主張は、国民から選ばれた首相が大臣を任命して閣議で政策を通過・実行するというものでした。
しかし、先の定義に従えば、否定側のCP下の内閣は
1、国民を代表しており、
2、内閣単体で立法権を保持し、
3、その唯一の会議体である閣議で議会が構成されているため、
一院制の議会といえます。

ここで、注意していただきたいのは、議会は国民を代表してさえいれば、必ずしも公選である必要はない、ということです。
これは、イギリスの上院など、非公選の議会も存在することからも確認できます。
さらに、今回の否定側の場合、首相選挙を通じて議会の構成員を間接的に選ぶので、アメリカ上院議会と同じような制度設計と考えることも可能です。

であれば、このCPに非命題性はないと考えるのが自然です。
CP下でも単一の議会が存在するので、CPの擁護で一院制を否定することはできません。
よって、CPを否定側へのvoterにすることはできない。

これは、肯定側のプランでも同じ制度を採用可能であることを考えれば、よりわかりやすいです。
NEG.のCPは、AFF.が
1、全国1ブロック・定数が首相+大臣の人数分の衆議院を構成する
2、そのうち、1人を選挙で選び、小選挙区制で選び、他はその1人に選出させる
3、同時に国民投票も採択する
というプランを提出したのと一緒です。
少なくとも、CPがtopical counter planと考えられるのは自然です。

以上が非命題性に対するアタックとして用意していた原稿です。いちいち英語で書かれていてしゃらくさいと思う方は適宜脳内でカタカナに変換してお読みください。

チームとしてこの原稿を用意する際、強く意識していたポイントは大きく分けて2つです。まず1つは、「議会は国民を代表してさえいれば、必ずしも公選である必要はない」という主張は、実例などを踏まえて手厚く行おうということです。おそらく否定側からすれば、「立法権を持っているだけでは議会と呼べない」ことの理由付けとして一番使いやすいのは、議会は国民の選挙で選ばれた議員によって構成されなければいけないという話でしょうから、ここの論点は我々としてもかなり力を入れて証明しなければならないことになります。ただ、個人的にはここはイギリスやアメリカの実例を見れば明らかなように、結構しっかりと詰めていけば大分肯定側有利な論点だと思っています。今回はスピーチの時間的制約上省略していますが、「国民を代表する」ことと「選挙で選ばれている」ことがイコールではないことはもう少し論理的に説明できると良かったですね……この辺りは詳しく議論できる方がいらっしゃればぜひコメントいただきたいです。

そして、もう1つのポイントはただ単に定義の観点で争うだけではなく、「否定側の想定する状況は肯定側のオプションの範囲内である」と示した点です。どちらの定義が妥当かという争いに終始するとジャッジが混乱しやすいということもあり、より具体的なイメージを抱いてもらうように意識しました。

さて、今度はこうしたチャレンジに対する再反論の検討に移りましょう。否定側としてはカウンタープランが命題的だとなればその時点でほぼ負けが決まってしまうので、当然零院制下の閣議は国会ではないという主張をしてくるでしょう。(弟曰く1NRでターンアラウンドを打ちまくって現状維持との比較でもプランは論題を肯定できない、という帰着にするのが一番強いそうですが、そんな超人プロレスを想定しはじめるとそもそも1ARが崩壊するので却下します。大体一院制論題でそんなにターンアラウンドの議論ないでしょうし)

実際に出ていた再反論は、2NRで日本国憲法43条を引用し、議員が国民の選挙によって選ばれていなければ国会とは呼べない、そして今回の論題主体は日本なので国会の定義は日本の憲法に従うのが妥当だ、というものでした。これについてはどちらの定義の方が妥当なのかとか、そもそも肯定側の主張する論題充当性がリーズナブル(多分Reasonableと書くべきでしょうが綴りに自信がないのでカタカナで書きます)であればその時点でカウンタープランを棄却して良いのではないかとか色々な議論が出てくるはずです。ただその辺に踏み込み始めると個々人のジャッジフィロソフィーが大きく影響してくるのでいったん脇に置いておきます。この辺の話題を話したい人はコメント欄なりTwitterなりでまた議論していただくとして、この記事では私なりの判断を掲載します。

結論から言うと、私はこの基準を採用するのは難しいと考えています。何故なら、日本国憲法に則って「国会」を定義するならば、42条の「国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する」という規定が問題となり、一院制論題そのものが自己矛盾をはらんだ命題となるためです。実際の試合でも2ARで同様の主張を行い、結果的にカウンタープランは命題的だという判断になりました。

しかし、試合が終わってからこの議論を再検討してみると一つの疑問が湧きます。今回の論題は「日本は国会を一院制にすべきである」という文言でしたが、これはプランを導入した後の立法機関も「国会」である必要はあるのでしょうか?より分かりやすい例文として、「私はタヌキをはく製にする」という文章を考えてみましょう。この時、私が動作を行う対象は生物としてのタヌキでなければならず、キツネでも駄目だしタヌキの人形でも多分駄目です。しかし、動作が終わった後の目的物は、インテリアとしてのはく製であって、もはや生物としてのタヌキの定義は満たしていません。もしもこれと同じ構造だとするならば、一院制論題は日本国憲法の定義を採用したとしても自己矛盾をはらまない命題となります。ただし、その場合でもプランを導入した後の「一院制」については日本国憲法の定義をあてはめる必要がなくなってしまうので、どちらにせよ日本国憲法の定義を用いて非命題性を証明するのは無理そうです。そう思うなら端から書くな、という話ですね……

以上のことから、零院制カウンタープランの非命題性に対するチャレンジは結構見込みがあるのではないかと思います。少なくとも、否定側としては議会の定義についてある程度用意しておかないと返せなさそうですし、そもそも諸外国の制度を踏まえると非命題的だというのは結構しんどいのではないでしょうか。

2.カウンタープランにおける独裁の危険性

さて、先ほどの文章を読み飛ばさなかった方からすると「もう話終わったじゃん」という感じかもしれません。実際私も記事を書き進めていて「これ優位性の原稿要るか?」と思い始めました。しかし油断大敵です。何しろこの記事を書いているのは「ステータスクオ」と聞いて「クオーター制のこと話してんのかな」と思うような人物です。先ほどの非命題性の議論も有識者の目から見ればあり得ないような間違いが含まれているリスクは十分にあります。それに優位性の論点の話をしない場合、本格的に記事のタイトルがただの嘘になってしまいます。
ということで、全日本版零院制の優位性に対する反駁原稿をご覧ください。

・優位性に対するアタック原稿

まず、論点A、国会議員が駄目という話について。
否定側は、Aの部分で、議員が選挙区への顔見世ばかりで政策論議をしていない(中原2010)と主張しますが、実際には、国会議員は国会の仕事をしながら地元の声も吸い上げ、それを国政に生かそうとしています。
2009年、衆議院議員 高市
「この4年間、平日は国会や役所での時間をフルに使って全力で働き、週末に帰県した折に伺った奈良2区の方々のお声を参考にしながら、議員立法や制度の運用改善、奈良県内各市町村で必要な予算の手当て、時代の一歩先を見た多くの法制度作りにも取り組んできたつもりです。」
否定側は地元への顔見世と揶揄しますが、実際には国政のため重要な活動ですし、それで仕事をおろそかにすることもありません。否定側のプランでは、このような意見の吸い上げも行われなくなります。
(出典:https://sanae.gr.jp/column_detail91.html

論点B、公選首相で適切に民意が反映できるという論点に対して。
1点目、公選された首相が適切に民意を代表する保証はありません。任期中は外部から法律を差し止めることはできないのでもし過激な政策を行っても止めるすべがなく危険です。
2点目、閣議の構成員も結局は首相に人事権を握られているため暴走に対するストッパーにはなりません。
首長を公選する地方自治体の分析。
2021年、東京新聞
「首長に与えられている職員の人事権も暴走の温床になる。「厳しい意見を言う職員を遠ざけ、お気に入りで脇を固めるといったことが起こり得る」(今井氏)。残るのはイエスマンばかり、となりかねない。」
出典:https://tokyo-np.co.jp/article/125656/2

よって、閣議も暴走のブレーキにはなり得ません。地方自治体においては、地方議会やリコール制度でストップをかけられますが、今回のネガにおいては、国会がないので、権力抑制できない。
3点目、彼らは任期の終わりに選挙があるから大丈夫というかもしれませんが、こうした選挙制度すら首相によって変更されます。公選大統領のヒトラーの例。
ジャーナリスト 熊谷 2013
ヒトラーという犯罪者が最高権力を握ったのは、クーデターによるものではない。(中略)ヒトラーは権力を握るや否や、社会民主党共産党などの野党を禁止し、ユダヤ人に対する迫害を始めた。ドイツ国民が自ら選んだ政治家が、民主政治の息の根を止めて人権侵害に乗り出したのだ。(終わり)
出典:http://newsdigest.de/newsde/column/dokudan/4875-948/

これはナチスドイツのジャストワンケースとして棄却しないで下さい。権力を長く握りたいと首相が考えるのは普通でしょうから、その時にそもそも選挙制度を変えてしまえば良い、というのは常識的な発想だと思います。
実際に、現状でも例えば安倍首相が自民党の総裁任期を延長しています。
日経新聞 2016
自民党は26日午後の党・政治制度改革実行本部の全体会議で、党総裁任期をいまの「連続2期6年」から「連続3期9年」に延長する案を決定した。党の意思決定機関の総務会で年内に了承する見込みで、2017年3月の党大会で党則を改正する。【中略】出席者によると、任期延長に関する反対論は出なかった。(終わり)
出典:https://nikkei.com/article/DGXLASFS26H2A_W6A021C1000000/

このケースは党内人事の話でしかないですが、首相の任期に関して同様の事態が起こると選挙は実質的に機能しないでしょう。最終的にこういった独裁の危険も十分あります。
4点目、暴走した首相は最悪の場合、人権抑圧的な政策を実行します。これは4年の任期でも十分に達成されます。
授権法によって立法権限を全権委任されたヒトラーの実例。
ホロコースト記念博物館HPより、
1933年3月23日
(中略)「授権法」と呼ばれるこの法案をナチ党、保守党、カトリック中央党が支持します。この法案により、4年間ドイツ議会に決議案を提出せずに法律を布告できる権限がヒトラー政権に与えられます。(中断)
出典:https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/nazi-rule?series=71

議会を通さずに法律が制定できる、まさにカウンタープランと同じ状況を作っています。そして、彼はこの権限を用いて、わずか4ヶ月で断種規定を作成しました。
(再開)1933年7月14日
ナチス国家による民族純化法の制定(中略)
身体又は精神に障害のある個人が子供を作ることを好ましくないとし、断種手術を強制的に義務付けます。この法律は、その後18か月間にわたって約40万人に適用されます。(終わり)
出典:https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/nazi-racism
3点目で述べたように、任期自体が引き延ばされることもあるので、こうした被害はより甚大と言えます。

如何でしょうか。この原稿にも非命題性に対するチャレンジと同様、私とチームメイトのこだわりポイントがいくつか存在します。中でも一番こだわった論点は、「カウンタープラン下では首相が選挙制度を好き勝手にいじってしまう」という話です。私としては、直接的な人権制約施策よりもこの現象が一番危険だとさえ思っています。全日本版零院制の場合、首相の任期中は立法活動における拒否権プレイヤーが誰もいないので、選挙制度を自分に有利なように変更するとか、そもそもの任期を無限に延長するとかしても止めるすべはありません。そうなると完全な独裁の完成です。

そして、この議論を展開するためにはある前振りが非常に重要になります。それは、肯定側質疑でカウンタープランの制度設計に対して「首相の選出方法と任期」を法律で定めるのか、憲法で定めるのかを聞いておくことです。ここで否定側応答が「法律で決めます」とか答えた場合はまさに1ARが好きに暴れられます。(弟は「法律か憲法かって二択で聞くと目的がばれるから『法律で決めるんですよね?』ぐらいのさらっとした聞き方が良い」とか言ってましたが皆さんは真似しないでください)

逆に、否定側としてこの議論に再反論するならば大まかに分けて2つほどの方法があると思われます。一つは、カウンタープランを憲法で決めてしまう、憲法の人権規定で首相を拘束するといった日本国憲法の力を最大限活用するという方法です。ただし、これは結構厳しいのではないでしょうか。何故ならば、そもそも1AR原稿で想定されているような、過激な首相が選ばれる事態においては、国民も首相を支持するだけの過激な社会風潮にのみ込まれている可能性が高いです。そうなると、各種憲法規定が国民投票によって改正される危険は一定程度あり、果たして本当にストッパーとして働くのかは大分怪しくなってきます。この観点からすると、国民全体が何か一つの価値観にとらわれる、という事態がそもそも危険なだけなのかもしれません。この辺りを深めていくと意外と面白い論題になる気もします。

もうひとつの筋としては、一院制にも同様に独裁のリスクがあると指摘することが考えられます。実際、原稿中で挙げているヒトラーの実例も元はと言えば議会が授権法を成立してしまったことが要因の一つにはある訳ですから、一院制下で多数支配をするような為政者もカウンタープラン下の首相と同じようなリスクを負っている、と主張することは可能でしょうし、この議論は一定程度説得的と思われます。しかし、プランの場合は議会が授権法のような規則を作る、というかなり蓋然性の低い事態を想定しなければいけないのに対し、全日本版零院制はもう授権法を制定したところから事態がスタートしている訳です。こう考えるとたしかにやや不明確な部分はあれど、一院制と全日本版零院制の間には独裁リスクの観点で大きな溝があるといわざるを得ません。

以上のことを踏まえると、否定側として優位性の論点は打つ手なしとは言わないまでも、全日本版零院制で明るい未来を描くのは大分しんどそうです。そう考えると、2NRで国民投票に関する実証研究を読みまくる超人プロレスを覚悟のうえでJDA版零院制を回した方が現実的なのではないでしょうか。(また、制度としてもその方が妥当な気がします。)

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